絶海にあらず《三》 北方謙三

2011年5月20日

 

海賊の問題がなくなったと京が判断したためか、純友は追捕海賊使の任を解かれた。部下は解散したことになった。好古が西国への任を帯びた旅の帰路、純友を訪ねた。純友は好古に小野氏彦を引き合わせた。好古は安連とも会った。安連は純友の任は解かれると予測し、純友がいない伊予が乱れることに備えて、安材と力を合わせて表面的には仲違いをすることが越智一族を守ることだと安材に説く。朝鮮では高麗が勢力を張り、新羅はないに等しく、帰るべきところが心もとないというのが新羅船の実態だった。その新羅船を大宰府が雇っているようなもので、それが京のやり方だと純友は考えた。そして大宰府を糾弾した純友は忠平にとり目障りな存在になっており、伊予掾を召し上げられるのも遠くないとの予感があった。伊予掾の任も解かれて京に戻ることになった(第9章 海霧)。

 京に戻り忠平から私邸への呼び出しがあった。純友は自らの任官を断り、代わりに弟純素への任官を望んだ。忠平は純友の願いを容れ、春宮主殿首の役職が純素に与えられた。安連は純友がいなくなった後の伊予全土を見据えていた。純友は商人の徳丸に自分の船十艘の荷を引き受けさせることにした。海賊の被害が次第に増えてきた。それを防ぐために安清は純友が海賊をやるのがよい、十艘の海賊の船団で船を沈めて唐物のすべてを止めてしまうのがよいという。どこの船か分からないように偽装を施し、物は奪わない海賊を実行した。火をつけると船を沈めるのと同時に偶然を装って海に落ちたものを救いあげていった。忠平は良平を通じて好古に純友と親しくして海賊を押えさせようとした(第10章 都の嵐)。

 純友は、角が突き出た形の刳船を底部に据えた船を相手の船にぶつけて舩腹から浸水させた。これにより京の物の価を混乱させ、海の道がなんなるか、忠平に教えようとした。大宰府の水軍も唐物の船も簡単に沈めた(第11章 水鳥の巣)。

 追捕海賊使の人選が決まったが、その名を聞いて好古は首を傾げた。好古は純友を訪ねた。純友は船の航行を制限する京のやり方が間違っていると言い、忠平はそれこそが京の政事として正しいと考えているので、平行線は変わらない。良平は好古を呼んで、追捕海賊使の船団が海賊に蹴散らされたのは予定通りで、さざなみの中で見えてくるものがあるはずだ、どういうさざなみか好古に見て来いと命じた。坂東で大きな戦が起きた。将門と伯父平国香が争い、源護が国香に与した。貞盛の父国香は殺された。京はこれを一族の争い、私闘とした。京は一族同士で争わせ、最後に御しやすい方に力を貸す。将門破鏡に召喚されて弁明に務めた。忠平にとって切迫した事態になったのは、唐物が止まったことである。唐物を積み、大宰府に蓄えて小出しにする、そのための水軍五艘が奪われた。大宰府水軍の強化のために良平自ら大宰府に出向いた。水師たちの動向を純友は耳にしたが聞くだけで自らは動かなかった。伊予、讃岐、播磨、備中、備後、安芸の水師の一部が西へ向かい始めた。船は二千艘に達した。水師、水夫の神通は1万に近い。西国の水師が京へ押し寄せる噂が囁かれ始めた。坂東でも同族同士の戦が続き、東西で燃え盛っている。宮中では毎日会議が開かれた。京に入るすべての物資が止まった。純友に朝廷から呼び出しがあり、内海を鎮めよとの宣旨が下った。忠平の私邸に来るよう耳打ちされ、伊予守の権限を行使できる場合もある権限が与えられた(第12章 さざなみ)。