池田屋乱刃《上》 伊東潤

2023年5月20日発行

 

新撰組の目線でなく、池田屋に集った志士達の目線で描かれた池田屋事件

『二心なし』

 伊予松山生まれの福岡祐次郎は、京で食い詰め、死にそうなところをお吟に助けられ、壬生浪士組が募集している隊士の考査を受けに行く。土方から金を示され間者の仕事だがやるかと聞かれて金の魅力から引き受けた。土方から事前の打ち合わせの通りに行動した祐次郎は、土方と丹羽正雄の前で筧を斬り殺す。丹羽は祐次郎を信用して用心として雇った。

尊攘派浪士の指導的立場にいた宮部鼎蔵と丹羽とのやり取りを聞いて祐次郎は大変な所に足を踏み入れたことに気付き、月に一度土方に報告した。土方は祐次郎に奴等の熱に浮かされるなと忠告した。土方は祐次郎に褒美をやり、祐次郎はお吟と所帯を持つ。薩会同盟軍は急進派公家7人の参内を禁じ、長州藩が国元へ帰った。丹羽は長州に落ちることにし、宮部との連絡係を務めるために祐次郎は京に残ることに。長州藩邸に招かれ宮部春蔵から京制圧の謀議の場に出くわす。政変後に壬生浪士組から新撰組に名を変えた土方に報告しに行くが、宮部春蔵から聞いた話を土方に伝え損ねた。祐次郎は己が志士になりかけているのに気づき、道に迷い始める。宮部から丹羽宛の書簡を託された祐次郎は、宮部から志士とは己を捨て他人すなわち国のために命を捨てられる者のことを言うと教えられる。そして志士になりたいと思い、土方から呼び出された時にやめたいという。が一斉検挙の取り締まりを始めた土方は何か掴んだら知らせろと命じて立ち去る。宮部から裕次郎の下に長州藩尊攘派の意を受けて連絡係をしていた古高俊太郎が捕縛されたので池田屋で寄合を持ちたいとの連絡が入った。最後に池田屋に行ってからお吟の故郷敦賀に行こうと思った祐次郎だったがお吟から止められて行くのをやめた。が途中で財布をお吟に握らせて祐次郎は池田屋に向った。池田屋の裏口で新撰組の奥沢栄助が立ちふさがり奥沢を斬った。北添を裏口から逃がしたが、新撰組が表口と裏口から次々と集まってきた。土方から浪士どもの熱に浮かされたなというと、まっとうに生きたかっただけだと言い返す祐次郎。間者に堕した者がまっとうに生きられるはずはないだろうと言われても、まっとうに死ぬことはできると言って下段突きを繰りだしたが土方の切っ先が先に鳩尾に突き刺さった。お吟さん、ありがとうとと心の中で呟きながら自らの腹に刃を突き立てて尽き果てた祐次郎だった。

 

『士は死なり』

士は死なりという激烈な思想を生んだ朱子学は土佐人独特の武士道概念と融合した。土佐の北添佶摩蝦夷地の海岸線を歩き海防策を練るという念願を果たすため蝦夷地を踏み、その後陸奥国で海防の重要性を説いて南下した。江戸で勝海舟から海軍の重要性を聞かされ神戸まで船で戻る。船中のうちに京で政変が起き、京に戻り宮部鼎蔵から帝強奪の計画を聞かされ、しぶしぶ引き受けることを決意した佶摩らだった。宮部鼎蔵からの書簡で池田屋で寄合を持ちたいとの連絡が入った。池田屋に佶摩が駆けつけると宮部を中心に桂小五郎吉田稔麿、西川耕蔵、望月亀弥太らが顔をそろえていた。桂の目くばせで吉田が皆の帯刀を集めて階下に持って行った。そこに壬生浪士が改めに入る。裏口から福岡の声を聞いて北添は外に出て高瀬川に飛び込んだ。翌日駕籠屋の暖簾をくぐった佶摩だったが通報されて士は死なりという言葉を知っておるかと尋ねた後、自害した。