夏草の賦《二》 司馬遼太郎

2017年6月10日発行

 

一条家の当主兼定は美しい菜々に伽を求め、これを断って逃げた菜々を匿った土居宗珊は兼定に刺し殺された。これを理由に元親は一条家の老臣をして兼定を追放させ、しかも老臣たちにあらぬ噂を流して自害ないし病死させた。土佐の平定を果たした元親は、次の目標を阿波に定め、信長と友誼を得ることが将来の備えになると思い、信長の了解を得ようとして中島可之助を遣って光秀を通じて信長との面会に漕ぎ着け元親の嫡子に信の一字を与えられた。阿波の国に出向くだけで難事業であるのに、元親は七千の軍を阿波と伊予に向かわせ、両者が手を結ぶのを防ぐことを考え、しかも阿波を押えるために四国の要所の白地を治める大西覚養入道こそ阿波の大御所につくべきと促した。ところが覚養は元親を裏切り、弟で人質として預かっている七郎兵衛を定法では殺すべきところ、帰るもよし、元親に仕えるもよしとしたところ、七郎兵衛は元親に仕えることを選択して先鋒を頼み込み、七郎兵衛はほとんどの家臣を味方につけて覚養を落として白地を手に入れた。白地を大本営として、讃岐、伊予、阿波で暴れ回り、三国は信長に泣きついたが、信長は元親に四国の切り取りを任せた。ところが阿波の三好笑厳が信長に謁見すると、元親には土佐に阿波の南の海部だけで我慢せよと云いつけ、それを菜々の兄石谷光政が直接元親に伝えた。元親は信長の家臣ではなく、従えぬ、と返事をして、信長と一戦を交えることを決意した。その上で、元親は、石谷に対して、元親を同情するなら、光秀が信長を斃されたい、光秀にそう申せと言って別れる。ともあれ、四国担当を自認していた光秀の面目はまる潰れだった。