夏草の賦《一》 司馬遼太郎

2017年6月10日発行

 

美濃の字侍の出で織田家の侍の斎藤内蔵助利光の妹菜々は織田家中でも一番の美貌といわれた。斎藤利光の隣人明智光秀から、この頃はまだ数郡を切り取った小領主にすぎなかったがゆくゆくは四国を併呑し天下を望もうとしていた土佐の長曾我部元親に菜々を嫁がせてはどうかと話をされ、菜々もこれを承知し元親に嫁ぐことになり、浦戸湾に渡った(岐阜)。

菜々を娶った元親は、まず長年対立していた山岳地域を配下に治めていた本山氏と対決し、権謀術数の限りを尽くして本山氏を降伏させた。一族の血を断絶させるのが平家と源氏の戦い以来の当時の習わしであったが、元親はけじめはつけつつも熱く遇した。これにより元親の評判は上がったが、その噂は自ら流したものだった。菜々は無事男の子を産んだ。元親は自分は幼い頃から臆病だったが、臆病であるが故に知恵を授かったと菜々に打ち明けていた(国分川)。“なるほど武将にとって勇気、豪胆さは第一に必要である。しかし元親にいわせれば、勇気などは、天性のものではない。臆病者が、自分自身を練り、言いきかせ、智慧をもってみずからを鼓舞することによってかろうじて得られるもので、いわば後天的なものである、という”

次に元親は安芸氏を配下に加え、最後は名門一条氏を降伏させるために菜々と家臣を一条氏に送り込んだ。一条家の当時の当主は兼良で当代きっての学者。兼良の長男は前関白教房で土佐の国司となり国都を幡多郡中村に造営し人々は天人のように遇した。菜々は表向きの親善大使だったが、供に対一条家外交を担当した家老の江村備後守を加え、江村に謀略行動をさせるためであった(桑の実)。“武士の腹は真っ白でなければならぬが、しかし、大将はちがう。墨のような腹黒さこそ統一への最高の道徳だ、という意味のことを元親はいう”