天空の舟《下》小説・伊尹伝 宮城谷昌光

1993年9月10日第1刷 2013年7月5日第28刷

 

裏表紙「夏王桀に妹嬉をささげることで有莘氏の危機を救った伊尹は、桀のライバルとして台頭してきた商の湯王から三顧の礼を受け、湯王の臣となる。伊尹の狙いは夏と商の和親だったが、時代の流れはこれを許さず、ついに夏と商は激突し夏王朝は滅亡する。湯王は商王朝を開くが、伊尹の仕事はまだ終りではなかった。解説・齋藤愼爾

 

摯が有莘に戻ったとの知らせを聞いた湯は、三顧の礼をとって摯を迎えた。摯は、湯の器量が桀より大きく、湯も摯に民を慈しむ心があることを知った。商が疲弊し切っていることを夏が知っていれば和睦は難しかったが、夏は知らなかった。摯は朝貢の使者として夏邑に発ち、商と夏との和睦を目指した。摯は夏に着くと桀に仕えた。湯は富国のために改革を進めた。夏王朝は脆弱しており、諸后の心は離れていた。夏王室と昆吾との反目は激化し、夏は商を昆吾の征伐のために使おうとした。顎は摯から預った咎単を摯に返し、顎の仇敵の湯に摯が仕えたことで摯と絶交した。桀は王宮の廊下を象牙で飾るため象牙を送るよう商に求めた。摯は桀に悪霊が降りたと思い風諫した。昆吾と有洛氏が互いに通じて商に背いたため、商は有洛氏を伐つことにした。その頃、湯は摯の嫁の相手を決めていた。商の仲虺が連れてきた女を見て、摯は商后湯の女だと思った。有洛氏は滅びた。后哆と趙梁は湯を謀殺する計画を進めていた。商の仲虺は湯が王宮に参上したまま消えたという凶変を聞いた。摯は南方を歩き本気になって象牙を集めていた。当初は摯の謀略を疑った仲虺だが、それを知りは摯を信じた。湯の監禁場所は夏台(鈞台)の土牢だった。夏の祖霊が祀られる聖域だった。湯を殺していないことが后哆には不満だった。落雷・地震等の天災に恐れをなした桀は湯を赦した。許された湯の暗殺を后哆が費伯に指示した。趙梁と費伯は湯を道中で殺するつもりだった。危機一髪の湯を、顎と咎単、摯が助け出した。顎は関龍逢を殺した謀略主への仇を討ち、葛邑の再建を認めた湯への返礼を行った。瘦せ衰えた湯だったが、奇蹟的に夏台から戻り、湯は3年で国力の回復を目指した。中国の最初の文字は後にこの商室から生まれた。ことばに深い思い入れがあったとみるべきである。湯は諫言をなさぬ臣下は墨刑に処すとも言った。商は昆吾氏の連合軍と戦い一度は敗れるが、奇蹟に近い回復を見せて異族を従え大反攻に転じた。摯は仲虺に、南方を巡った際に九夷にも行き、今回の戦いでも九夷の力が要る、そのためには1年必要だと言った。九つの異族の総称を意味する九夷の力を借りて中間は初めて制覇できる。九夷が商のために腰を上げた。いよいよ最後の決戦、夏師・昆吾氏連合軍と商の戦いが始まった。鳴條の戦いが始まった。桀の武運は完全に去った。湯は桀と妺嬉を殺さずに舟に乗せて流刑した。湯は葛人に桀を助けさせた。夏王朝は滅亡した。432年(471年)の長さだった。湯は暦を1か月は早めたこと、服の色を替えたこと、朝廷での会合を朝から昼にかえたこと位で、夏の制度を殆ど変えなかった。湯の没後、太甲に桀の亡霊が憑りついたかのような時期があったが、3年喪に服したことで人相が変わり、摯を「阿衡」と最大の賛辞で呼んだ。太甲も善政を行い「太宗」という尊称がおくられた。