天空の舟《上》小説・伊尹伝 宮城谷昌光

1993年9月10日第1刷 2010年9月5日第24刷

 

裏表紙「商の湯王を輔け、夏王朝から商王朝への革命を成功にみちびいた稀代の名宰相伊尹の生涯と、古代中国の歴史の流れを生き生きと描いた長篇小説。桑の木のおかげで水死をまぬがれた〈奇蹟の孤児〉伊尹は、有莘氏の料理人となり、不思議な能力を発揮、夏王桀の挙兵で危殆に瀕した有莘氏を救うため乾坤一擲の奇策を講じる。全二巻。」

 

新田次郎文学賞受賞作。

臨月を迎えた女は不思議な夢を見た。神女から、伊水があふれる、臼や竈に蛙がのっていれば東へ走り、桑の樹の空洞に児をあずけなさいといわれる。夢が覚め、児を産んだ。この嬰児が伊尹である。夢の話は誰も信じなかった。臼と竈に蛙がのると、本当に洪水が起きた。嬰児をのせた桑の大樹は東へ東へと流され、嬰児は有莘氏(莘后(しんこう))の君主の娘に発見された。桑の木は神木とされていた。莘后は嬰児に高い身分を与えず料理人に育てさせた。嬰児の名は「摯(し)」とされた。莘后は王子の発に接近していたが、先帝が在位3年で急逝し発が16代目の夏王になった。ライバルの昆吾氏は発の世子の桀(けつ)に近づいていた。摯は自らが伊水から流れてきたのを知った。摯の非凡な人格の形成は養父の薫陶による。厨房の仕事は厳しく仕込まれた。摯が養父と夏邑に行く供をした。夏王の厨房で修行させるためだった。夏王は莘后から摯を預かり、故事、天象の事等を学ばせ、関龍逢を呼んで面倒を見させた。夏王朝の幼い桀が女性を凌辱する場を摯は目撃し、摯に暴力を振るった。摯は10日に一度の割合で故事を学んだ。盲人の師は厳格な人だったが、語る言葉に血が通っていた。翌年、摯は天象を学ぶ場で桀と再会し命を狙われた。19歳の時、摯の養父が死んだ。死に目に間に合わなかった。莘后に唆されて商后が叛逆したという讒言が流される中、莘后は倒れた。商民族は二頭の馬に車をひかせる兵車(馬車)を発明し、中国の戦法の転換を齎した。小国の商が大国の葛を滅ぼした。葛伯の臣は商后と莘后が気脈を通じていると考えて莘邑を脱出し夏王に訴えた。夏の帝発は既に崩御しており、桀が王となり昆吾伯が輔弼に着いた。商の若い君主は後に商王朝を開く成湯(湯王)。商には葛を伐つ正当な理由があった。商は葛を何度も助けたが葛は恩を仇で返したからだった。摯は命を救ってくれた莘后への恩返しと思い、嗣君に10日以内に凶事が起きると予言した。莘后と商后の謀叛に対し嗣王桀が討伐に向かった。莘が討伐対象となっていることを知って莘の嗣君は苦り切って摯に知恵を授かろうとした。摯は、貢物のほか、后女を桀に差し上げる、生け贄にすることを提案した。桀の弱点は無類の好色だったからである。摯は后女の他、葛人の顎とともに桀に会いに行った。途中で盲目の師と関龍逢に出会い、莘は謀叛に加わっていないことを説き、桀への取次ぎを恃んだ。摯の作戦は見事に当たり、莘は后女に救われた。后女は妺嬉(ばっき)と呼ばれた。養母を埋葬した摯は莘后に退官を願い出、郊外に草蘆を構え、十年間静修した。葛人の顎ただ一人と付き合った。30歳の頃、顎から湯と呼ばれる商后が東方を成らげつつあると聞いた。顎は商后に葛伯を滅ぼされた復讐心がある。桀に嫁いだ妺嬉の評判が悪い。摯は妺嬉を悪女に仕立てたのは推哆(し)だと推測した。桀が地震で死んだ噂が流れると、商后は立つだろうと顎が言った。仲虺(ちゅうき)は商后を不世出の英主に仕立てあげた。顎は仲虺の暗殺を持ち掛けた螽から桀はまだ生きていると聞いた。商と夏の戦いは湯が勝った。商の兵車の出現により戦法は一大革新を迎えていた。摯は莘に向かい、負傷者の手当をした。湯が莘を攻め寄る日が近づいた。湯は莘の息女を娶ることを強引に決め、摯はそのための家内奴隷にされたことを知り怒りでからだが震えた。罪を犯したわけでもない摯が后女に飼い殺しにされる理由はどこにもなかった。摯の容貌に失望した湯は摯に声を掛けることすらしなかったが、仲虺から摯が人物であると聞かされて残念がった。その頃、摯は螽と共に湯の下から逃げ出した。摯は父親を探して旅をしていた咎単(きゅうぜん)と名乗る一人の童子を拾った。摯は関龍逢宅に赴き、桀の宮廷料理人として帰参した。湯は東方と南方をあらかた平定し、王朝を開くと、桀は激怒した。摯は桀から追放された妺嬉に仕えることになった。妺嬉は妖婉になっていた。妺嬉は摯に有莘に戻り、湯の命運を絶ってほしいと頼んだ。