1988年4月10日発行
商人の力が勃興する世相に順応できず、謹厳実直で信念のままに生きようとする宗形伝三郎の廉潔心は叩きのめされ、山里で疲れ果てて行き倒れた。牧野市蔵と呼ばれる老人と娘に助けられ、自然の中で静かにつつましく暮らしていた。老人は村の児童に読み書きを教え、娘も村の娘達に裁ち縫いの手ほどきをしているが、謝礼は受け取らなかった。娘は老人と縁もゆかりもなく老人が5つのみなし児を拾って育てていたことを知る。新庄出身の伝三郎は草履づくりが出来たので、草鞋を編んでそれを老人のつてで売ることにした。草履は丈夫で評判を呼び売れた。ところが丈夫なために買い換えないので弱く編んでくれとの声が出た。手をぬくのは違うと反発して草履作りを止めて人夫となった。ところが人夫になっても定り事を忠実に守って休みを取るだけだと、それ以上休もうとする周囲の者と折り合いがつかない。老人は伝三郎に、正真は人に求めるものではない、世間の咎はおのれの責任ではないと云える人間は一人もいない。人に求めるのでなく、自分が責めを果たしているかどうか。そこから全てが始まると語る。そんな折、伝三郎の草履が案内して召し返しの機会を得た。
おしゃべり物語
摩利支天と問答するという不思議な夢を見た宗兵衛の母が身籠って生まれた宗兵衛は、とにかくお喋り。得意のお喋りで寡黙で政治に関心のなかった藩公の目を藩内の政争に向けさせ、主流派・反主流派の舞台裏をそれぞれ得意のお喋りで全部表に出し、秘密を無くしてしまう。奸智に長けるライバルの正体も暴露して恋人も取り戻してしまう。
山女魚
遺書を書いたという手紙が兄から届いた直後に、兄は病死した。ところが遺書が見つからない。兄嫁を弟が貰い受けることに親族会議で決まったが、兄が亡くなったばかりで弟はそんな気にならない。ある時、兄は病死したのではなく川に身を投げて自殺したのを目撃した男から兄の自殺を聞いた弟は、ますます遺書がないのは不自然だと思った。兄嫁の部屋をくまなく探すがどうしても見つからない。諦めかけた時に箪笥の上にあった壺が転げ落ちた。中に封書が入っていた。遺書だった。兄嫁はもともと弟に想いを寄せていた。兄嫁が秘めた想いを弟に知られてはならないと思った兄嫁が遺言を隠した。しかし兄嫁の遺書には「あのひとの心と兄の賜物をうけて下さい、兄のさいごのねがいを生かしてくれるように、信じかつ祈ります」とあった。二人はすなおにうけた。山女魚はかつて兄が川で釣った魚が山女魚かうぐいかで兄弟で言い争ったというエピソードが遺書に書いてあったから付けられたもののようだ。
陽気な客
作家が飲み屋でクダまいて、周五郎に短い小説の種はないかと聞いている。仲井天青という作家が死んだと聞かされても周五郎には心当たりがない。その作家はかつて神戸夜話社という怪しげな雑誌社で世話になり、そこの主筆が仲井だった。社長と妻がもめてケンカばかりするので仕事にならず居酒屋で飲み出した。酔った仲井が勝手に自分が仲井天青だと言い出す。作家は仲井天青を知らないから当惑するだけだった。??なんか今ひとつ良くわかなかった。
大納言狐
紀ノ友雄は長年思い煩い苦労して艶書を姫に届けたが、姫はすぐに軽く応諾の返信をもらい、これが逆にショックで失恋して出家遁走した。姫は紀ノ友雄が誤解しているので連れ戻すよう言うが、紀ノ友雄は大峰山のひじりが説法するのを聞いていた。ところがこのひじりは狐だった。地元の漁師が見抜いて弓を射ると、普賢菩薩はあとかたなく消えてしまい、一匹の大きな白狐が正体を現した。ところが堀川の資兼は自分が騙されたことが周囲にバレるのを恐れ、猟師に猿轡を噛ませ、大納言狐が尊像の身代わりになって矢を受けてくれたことで我々は救われたなどと説明し、周囲の者をすっかり騙すのに成功した。紀ノ友雄は目が醒めて故郷に帰った。