日はまた昇る ヘミングウェイ 宮本陽吉訳

昭和47年8月15日第1刷発行

 

 裏表紙に「戦争を体験することにより何も信じられなくなった。〈失われた世代〉の虚無と快楽に酔いしれる姿、その渦中にありながらも確実な手応えある何ものかを求めようとする若い二人の男女の姿・・・実際にパリからスペインへと旅を続けながら書き上げたヘミングウェイ27歳の出世作」と。

 訳者によると、第一次大戦で負傷し性的不能になったジェイクと、対照的な位置に置かれるブレッドは絶えず男あさりを続け、ただジェイクのそばにいる時に限って安らぎを覚える。当時のアメリカとしては肩破りな性小説で、「失われた世代」の生態が描かれているらしい。

 第2部のスペインでの闘牛場面は迫真性があった。ここに闘牛士として登場するロメロがブレッドの恋人になったり、元ボクシング選手だったコーンにボコボコにされて、顔を腫れ上がらせて闘牛の舞台に立ったり、ブレッドをめぐって男たちが争い、闘牛の場面ではロメロに牛が殺されたりと、第1部のパリでのまったりと、たんたんと描かれている感じとは大分違った筆致になっていて、読み易くなった。それにしても終始皆飲んで酔っ払っている。

 第3部は、パリに戻ったジェイクがブレッドの婚約者で酒乱のマイクと一緒に過ごしていると、突然、ブレッドから電報が届き、マドリードのホテルに呼び出され、結局、ブレッドはロメロと別れて、ジェイクと一緒にいる時が一番落ち着いた雰囲気となり、日常生活の中で落ち着いた会話をしながらエンディングを迎える。このことから「日はまた昇る」というタイトルが付いたんだろうなあと思う。

 1954年、『老人と海』が評価されてノーベル文学賞を受賞した7年後の1961年7月2日に自ら命を絶ったヘミングウェイ。『誰がために鐘は鳴る』含め多くの名作を残したアメリカの作家だが、私は余り好きなタイプではない。

蒲團・一兵卒 田山花袋

昭和5年7月15日第1刷発行 昭和30年8月30日

 

「蒲團」から読み始めたが、途中で「一兵卒」の方が気になってこちらを先に読んだ。 

 満州の病院にいた主人公が、病院の不衛生な環境にたまりかねて逃げるように退院し満州を歩いて遼陽攻撃の戦場に向かおうとするが、脚気衝心を発症し、苦しみ抜いて軍医が来る前に息途絶えてしまう。淡々と客観的な描写に徹していて、感情移入が全くないわけではないが、過度に感情移入させないように落ち着いた筆致で終始話が進んでいく。それでも、戦争中に、とある男性が人知れずひっそりと、しかも苦しみ抜いて死んでいく、という、実は物凄く怖い話。

 田山花袋という名前は自然主義派の作品で有名だったと思うが、この筆致が自然主義と言われればそんな気もする。

知らないと恥をかく世界の大問題9 分断を生み出す一強政治 池上彰

2018年6月10日初版発行

 

 最初の数十頁で、トランプ政権の驚くべき内幕を暴いた『炎と怒り』(早川書房・原書『FIRE AND FURY』100万部を超えるベストセラー、トランプの右腕だったスティーブ・バノン元首席戦略官の証言等をもとに書かれた本)をコンパクトに紹介しているが、その内容は衝撃的。トランプ本人も全く大統領選挙に勝てるとは思っていなかったというのも驚きだったが(負けても不動産の仕事に生きると思って大統領選に出馬したと分析している)、トランプという人は1冊を通して本を読み通すこともなく、大統領になった後はマックを食べ続け(毒殺を避けるため)、ホワイトハウスの執務室には午後から入り、情報はテレビから収集し、外交はそれまで全く勉強してこなかったから、外交音痴の政策を次々と発表し、前大統領のオバマ政権の実績を覆すことをやり続けた、トランプ・ファースト(アメリカ・ファーストにすらなっていない)という政権の実態が紹介されている。こんな人を大統領に選んだということを本当にアメリカ国民は理解していたのだろうか?

 次に衝撃を受けたのは、世界各国で徴兵制が次々と復活するか復活する流れが出来ているということ。プーチンによるロシアの飛び地カリーニングラードでイスカンデル(核弾頭搭載可能な弾道ミサイル)配備を警戒してスウェーデンは2010年に廃止した徴兵制を2018年1月に復活させた。フランスのマクロン大統領も2018年に入り2001年に廃止した徴兵制復活の考えを示す。ドイツの野党第一党も徴兵制復活を公約に掲げるまでに。

サウジアラビアとは「サウド家のアラビア」という意味で、国全体がサウド家の持ち物で、サウド家がすべての権力を掌握する絶対王国。未だに毎週金曜日の集団礼拝の跡に公園で公開処刑が行われている。これも知らなかった。。恐ろしい国だ。

 池上氏はベトナムに訪れた際に本屋があちこちあって若い人達が大勢本を読んでいる姿を見て、ベトナムはこれからまだまだ発展すると思ったそうだ。日本も戦後は電車の中で皆本を読んでいたのに今はスマホでゲームばかり、残念な気がしてならないと嘆いているが、確かにその通りかも。

 

しらべよう!47都道府県 郷土の発展につくした先人 ②教育 監修/北俊夫

2021年4月初版第1刷

 

センジンファイル048 岩手 新渡戸稲造(1862~1933)

 太平洋の架け橋をめざした国際人 東京女子大の初代学長 国際連盟事務次長

 

センジンファイル049 群馬 船津伝次平(1832~1898) 

  伝統的な農業に近代科学を組み合わせた混同農法を日本全国に広める。

駒場農学校で教えるが、農商務大臣井上馨と対立し4年程して学校を去る。

 

センジンファイル050 東京 津田梅子(1864~1929)

  7歳でアメリカにわたり女子高等教育の道を開く 津田塾大学の生みの親

  

センジンファイル051 神奈川 岡倉天心(1863~1913) 

  27歳で東京芸術大学の校長に。日本美術院をつくり、ボストン美術館の中国・日本美術部長に。

 

センジンファイル052 岐阜 下田歌子(1809~1880)

  明治の紫式部と呼ばれる。明治天皇の皇女の教育係。実践女子学園の生みの親。大正15年には通信教育を始める。82歳で亡くなる10日前まで授業をした教育者。

 

センジンファイル053 兵庫 嘉納治五郎(1860~1938) 

  文京にある講道館には一度足を運んでみたい。

 

センジンファイル054 鳥取 遠藤董(ただす)(1853~1945)

  鳥取明治9年に島根に合併されるが、明治14年に復活。図書館と盲唖学校を作った“鳥取の教育の父” 8歳で藩校「尚徳館」入学。92歳で亡くなるまで教育に命を捧げる。「視聴は只真心をもってす」が自らの教育理念。

 

センジンファイル055 岡山 池田光政(1609~1682)

  日本で初めて庶民のために学校を作った大名。9歳で鳥取藩主。24歳で岡山藩主。1670年閑谷学校(岡山)創建(今の県立和気閑谷高等学校に繋がる)。

 

センジンファイル056 山口 吉田松陰(1830~1859) 

  佐久間象山の下で兵学を学び、アメリカに渡る決意をするも失敗して牢獄に。いつもは丁寧な言葉遣いの松陰だが、過激な手紙を宥める弟子たちに怒り狂う松陰。

 

センジンファイル057 大分 福沢諭吉(1835~1901)

  大阪生まれの下級武士だが、父が1歳半で亡くなり大分・中津でオランダ語を学ぶ。適塾で塾頭になるも、英語の必要を感じ独学を始める。「咸臨丸」でアメリカに渡り、帰国後1868年(明治元年慶応義塾を。

 

 有名人が多い教育分野の中で、鳥取の歴史や遠藤董、船津伝次平のことは知らなかったので、勉強になります。

 

 

大地 パール・バック 大久保康雄・大蔵宏之訳

1968年1月初版発行 1990年8月第25刷発行

 

 貧農の子として生まれ、勤勉で何よりも土地を愛して大地主となる主人公の王竜(ワンルン)。阿藍(オーラン)は村の大地主黄家の奴隷の身から王竜の妻としてもらわれ、無口だが、性根のしっかりした働き者。王竜は当初はよく働き所有地を広げて少しずつ金を溜め、子も次々と生まれる。阿藍は誰の助けを受けることなく一人で出産し、産んだらその日から働き始める。それを当たり前のように繰り返す。凄まじい女性。

 ある年、雨が全く降らず、作物が全くできず、食べる物もなくなり、餓死寸前で南に移動して新生活を始める。と言っても王は車引きをして僅かな日銭を稼ぎ、阿藍は乞食をしてその日暮しをする。貧富の格差が激しく富裕層が襲われた際に思わぬ財産を手に入れて王夫妻は自分たちの土地に戻り、土地を買い増しして地主となっていく。王は次第に使用人を雇い自分で土地を耕かすことがなくなり、金が溜まると堕落して家に美しいホステスの蓮華(リエンホワ)を囲い、第2夫人として迎え入れる。黄家の老大人つきの女奴隷の抜け目のない杜鵑(ドチュエン)は蓮華の召使として王家に入り込む。そんな中、阿藍と蓮華・杜鵑の関係はどんどん悪化し、王の家は決して幸福とは言えなくなってくる。蓮華への愛欲を断ち切るため、王は再び自ら土地を耕し仕事に精を出す。

 王は自分が読み書きができないので、息子には教育を授けようと勉強させる。結婚適齢期になると、王は長男の嫁探しに悩み、気づくと長男が蓮華と関係を持ったため、長男を家から追い出す。阿藍は医師も治せない重病となったが、長男の結婚を見るまでは死ねない、この目で結婚を見届けたいと願って、家を追い出された長男が2年後に家に戻り結婚すると死んでしまう。王の父もほぼ同時に死ぬ。王の目の上のたん瘤だった叔父とその妻と息子は王家に住みつくが、叔父の息子が王の長女に色目を使うようになると、まだ13歳の長女を、商人にさせようと奉公させた次男が勤める取引先の穀物商店に嫁入りさせるとともに、家を守るために、叔父家族には大枚をはたいて阿片を覚えさせる。それでも叔父家族を嫌う長男から、彼らと同居するのに耐えられない、老大人のかつての屋敷に転居しようと言われて心を動かされ、かつて老大人の前に立つだけで気後れしていた自分が立場を逆転させてこの屋敷に住めることにおおいに自尊心を満足させて転居する。賢明に育った次男にも嫁を見つける。長男の嫁が無事子を産み、3代目が誕生する。ところが嫁は自分で子を育てず乳母を雇う。浪費家の長男と倹約家の次男は対立し、父親の王はどっちつかずの態度を続ける。王は長男と次男には学校で教育を受けさせ、農家を継がせるつもりだった三男が、実は自分も農家ではなく勉強がしたいという。なかなか親の思い通りに子は育たない。それでも大勢の孫に囲まれて幸せな老後を過ごす。叔父夫婦は阿片ですっかり体を壊して死んでいく。晩年、王は以前憐れんで買い取った女奴隷の梨華(リホウ)を可愛がる。知恵遅れの娘の面倒を見てくれるようにとも頼む。いざとなったら白い包みに入った毒薬を飲ませて殺してくれとも。最晩年、王はやわらかい土をいじり、幸せを感じる。長男と次男が土地を半分ずつ売って分けようという会話が聞こえると、王は二人を怒鳴り付ける。それを聞いて長男と次男は土地は売りませんと微笑しながら答えて、この物語は終わる。

 土に生き、土に帰っていく農夫の、平凡でありながら、人間として生きていくということはどういうことか、人生には様々な浮き沈みがあるが、果たして人としての幸福とは一体何かということを考えさせる小説である。1938年、パール・バックはこの小説でノーベル文学賞を受賞する。22歳で中国にわたり宣教師の妻として辛酸をなめつした作者だからこそ書けた作品だろうと思う。

 

 

 

 

天才 石原慎太郎

2016年1月20日第1刷発行 2016年5月20日第12刷発行

 

確か、結構売れた本だったと思う。石原氏が一人称でこれを書くこと自体、少々違和感があったが、読んでみて内容的にも強い違和感を持った。田中寄りに書かれているのは仕方ないにしても、ロッキード事件で5億円が賄賂だと認定された司法判断は誤ったものであるかのように書かれているが、果たしてそうなのか。勿論、田中角栄は政治家として有能であっただろうし、苦労もしたであろうし、努力もした稀代の政治家であったとは思う。が、一方で金権政治の大元を作ったのも田中角栄であるというのもこれまた歴史的事実ではないか。田中角栄の個人的な私生活、特に正妻とは別にお妾さんとの間に設けた子どもたちのこの本での登場のさせ方は可哀想に思う。また日本列島改造論のとおりに日本が豊かになり狭い国土が有効利用されていく過程はダイナミックだったと思うが、その傍らで安い土地を沢山取得してそれが値上がりして莫大な金を手にし、それを元に選挙に勝つために一人3000万円を配ったという話は有名だけれども、常識外れもいいところ。それを手放しで政治とはそういうものだから仕方ないのではないかと思わせるように書いている著者の感性なり神経が信じられない。田中角栄の周辺人物や時代状況から色々な人物を登場させているが、いずれも断片的な取り上げ方であるし、偏見も混じっているようにも思う。

私はこの本を評価する気にはなれない。そんな予感がしたので、この本は買わずに図書館で借りた。

毛抜・鳴神  石崎洋司

2019 年 1 月 31 日第 1 刷発行

 毛抜

 小野春道の一人娘「錦の前」は髪が逆立つ奇病にかかり婚儀が滞る中、粂寺弾正は、毛抜と小柄が踊り出すのを見て(銀の煙管は踊らないのに)、髪が逆立つ原因を推理し、磁石が天井裏に隠されていて、鉄で作られた髪飾りのせいで髪が逆立つ奇病だと思わしめた家臣の謀略を見破り、槍を天井に突き刺し磁石と共に忍者が落ちて来た。その忍者をすぐさま叩き切った家臣こそ真犯人と見抜き、その家臣を一刀両断する弾正。

 鳴神

 雨を降らす竜神を滝壺に封印した鳴神上人の下に送り込まれた美女・雲の絶間姫に酒を飲まされ酔いつぶれた隙に封印を切られてしまい、竜神が飛び出して雨が再び降る。騙されたことに気付いた上人の髪型がハリネズミのようないがぐり頭に変わり、上半身の着物が火炎模様に、顔も赤と黒隈取りが施され、拍子木の音とともにパンパンパンパンパンパンと飛び六方で花道から消えていく。


短い歌舞伎を見るなら、このどちらかですね。