アンクル・トムの小屋 ストウ 訳/田中西二郎

1968年7月1刷 1977年10刷

 

上下二段で314頁もの大作です。ある意味で、遠藤周作の『沈黙』を思い起こさせる内容でした。しかし『沈黙』より、神によって救われるとのメッセージ性は遥かに強いものがあります。なぜこんなに素晴らしい小説を今まで読んでこなかったのかと多少後悔しています。この小説を読んで私の魂が揺さぶられた箇所を以下に少しだけ引用したいと思います。

 

前半の、白人と黒人の混血の奴隷・ジョージの激白。

「さあ、ぼくを見てください。どこを見ても、ぼくはあなたと同じくらい人間らしくはありませんか。顔を見てください。手を見てください、からだをみてください」

「あなたがたの法律は、神にも人間にもそむいて、そういう権利(妻とジョージとの仲をじゃまして妻を捨てろ、ほかの女といっしょに暮らせ)を主人に与えている」「ぼくは、あなたがたの国に、なにひとつのぞみはしません、ただぼくをほうっておいて、この国の外にいかせてくれることだけをのぞむんです。カナダに行けたら、あの国の法律は、ぼくをみとめ、ぼくを守ってくれます」

 

真ん中あたりの、ジョージの言葉

「みなさんは、ジムとわたしを、みなさんが主人と呼んでいる男のところへ送りかえして、むち打たせ、ふみにじらせようとしていらっしゃる。しかも、みなさんの法律は、そういう

ことをみなさんにゆるしているーみなさんも、法律も、恥をお知りなさい!しかし、みなさんは、まだ、わたしたちをつかまえてはいません。わたしたちは、みなさんの法律もみとめなければ、みなさんの国家もみとめません。わたしたちはここに、神さまの空の下に、みなさんと同じように、自由に立っています。そして、わたしたちをおつくりになった神さまのみ名によって、わたしたちは死ぬまで、わたしたちの自由を守るのです!」

 

そのうえで著者はこう綴っています。

「自由―なんという電気のようなことばでしょう!自由とはなんでしょうか。それには名だけのもの、美しいことばのかざりだけのものでない、それ以上のものが、なにかあるんでしょうか。ああ、アメリカの男よ、女よ、このことばのために、みなさんの父や祖父は、血を流しました。このことばのために、みなさんの勇ましい母や祖母は、いちばんたいせつな、とうといものを喜んで死なせました。そのことばを聞いて、なぜ、あなたがたの胸の血が波だち、ふるえるのでしょうか。それは、ひとつの国民にとっても、かがやかしく、とうといものですが、同時に、ひとりの人間にとっても、かがやかしく、とうといものではないのでしょうか。個人の自由を、その中にふくまない国民の自由とはなんでしょうか。いまここにすわっている若い男、広い胸の上で腕ぐみし、ほおの色にはアフリカ人の血をまじえ、目には黒いほのおをもやしている、このジョージ=ハリスという青年にとって、自由とは、なんでしょうか。あなたがたの祖先にとって、自由とは、国民が国民となるための権利でした。ジョージにとって、自由とは人間がけものではなくて人間になる権利です。心の底から愛している妻を妻と呼び、その妻を無法なはずかしめから守る権利です。自分の子どもを保護し、教育する権利、自分の家庭をもつ権利、自分の宗教、他人の意志にはしたがわない自分の人格をもつ権利です。」

 

後半はトムを買った最後の主人のレグリーの極悪非道な仕打ちとそれに対するトムの言葉。

レグリ―「とうとう、おれたち罪人の中に、信心ぶかい犬が一ぴきあらわれたか!おれたち罪人に、お説教をしようてんだから、聖人の、紳士の、たいした神聖なやろうにちがいないわい!やい、悪党め、きさまがそんなに信心づらをしたいんならー聖書の中に、<しもべらよ、なんじの主人にしたがえ>と書いてあるのを聞いたことはねえのか?おれは、きさまの主人じゃねえのか?」

トム「わたしのたましいは、あなたさまのものではごぜえませんぞ、だんなさま!たましいまではお買いになったわけではねえだ!たましいは、お守りくださるたったひとりのおかたに買われて、つぐなわれておりますだーどんなことがあっても、あなたさまは、わしを傷つけることはできませんぞ!」

 

「苦しみにうち勝つ者は、われとともにわが位につくべし、わが勝利を得しとき、わが父のみ座(くら)に父とともに座したるごとく」(これって聖書の一節なのでしょうか?)トムが信念を貫いた時に出てきました。聖書を身読するっていう考え方があるのかどうか知りませんが、ここで『沈黙』と同じ位かあるいはこの小説のそれ以上の凄さに身震いしました。

 

トムがレグリーの奴隷から殺されそうになりながら最後の最後まで主イエスのことを話し続ける。すると、ジョージが現れて、トムを助ける・・・・が、トムは力尽きて死んでしまう。そしてジョージは「いま、この瞬間から、わたくしは、この国から、のろわしいどれい制をなくすため、ひとりの人間としてできるだけのことをいたします!」と宣言する。

 

そして最後にジョージが、大勢の前で「諸君、ぼくが、二度とどれいは持たない、ひとり残らず解放すると、神のみまえに決心したのは、トムの墓の前でした。もうこれからは、ぼくのために、故郷や美しい友とわかれ、トムのように、独りぼっちで農園で死ぬような心配は、けっしてないようにしようと決心したのです。ですから、諸君が自由を喜んでくれるなら、それは、あの善良でたましいのおかげだということを考えて、トムの妻や子への親切で、そのお礼をしてください。諸君は、《アンクル・トムの小屋》を見るたびに、諸君の自由を思ってください。そして、みながトムを手本にし、トムのように正直に、忠実に、キリストを信仰することを心がけるために、あの小屋を記念にしようではありませんか」

本当に俊逸な作品です。これが奴隷制の真っただ中の時代に書かれたことに改めて敬意を表したいと思います。この小説がその後アメリカ社会にどういう影響をもたらし、どういう結果をもたらすかを考え抜いた上で、敢えて書かれたものだと思います。その勇気とヒューマニズムのほとばしりに感動しないわけにはいきません。今、日本はかつてない閉塞状況にありますが、こういう時代だからこそ、人々に感動を与える小説が今求められているような気がします。繰り返しになりますが、本当にもっと若い頃に感性が豊かな青年の頃に読んでおきたかったなあと本当に思います。やはり名作と呼ばれる書物は時間をこじ開けてでも読む価値がありますね。これからもチャレンジングしようっと。