三国志 羅貫中 駒田信二/訳

2011年3月17日第1刷発行

 

 表紙裏に「著者の蘿貫中は14世紀半ば、元代から明代にかけて生きた人で、元代を代表する文学形式である戯曲の作家の一人である。『三国志』劇が演劇の世界でも当時すでに大いにもてはやされていたことは、今日題名のみ残るものを含めて40余篇に上るのをみてもわかる。蘿貫中は『蜀正統論』、すなわち蜀を漢の正統を継ぐものとし魏を簒奪者とする民衆の観点に立ち、それまでの『三国志』説話のストーリーを骨子として、当時の『三国志』劇のストーリーをも取り入れ、さらに正史の『三国志』を参照して、民間説話の中の荒唐無稽な箇所を訂正し、24巻240回、登場人物477名、総字数約89万字におよぶ大長編小説に集大成したのである(本書「解説」より 立間祥介)。

 久しぶりに三国志を読み返した。登場人物が多すぎて誰が誰の部下なのか、人物事典を片手に、また中国の地名が沢山出て来てどういう位置関係にあるのか皆目見当がつかないので、地図を片手に持ち、少しでも理解に努めようとした。

 この本は要約版なので、ストーリーを丁寧に追いかけることはできないので、横山光輝三国志大百科」(2003年4月21日第1刷発行、2004年7月10日第3刷発行)を参考にして、読み進んだ。

 この小説をまとめることは不可能なので、三国志由来の故事は沢山あるが、2つだけ記しておきたい。

 水魚の交わり

 孔明を軍師に迎えた劉備関羽張飛に、「わたしが孔明を得たことは、魚が水をえたようなものだ。おまえたちのとやかくいうものではない」と答えたことから、真の友情関係を言うようになった。

 苦肉の計

 呉の将軍周瑜は老将黄蓋を杖で殴り、背中の皮が破れ肉が裂けて血まみれになった黄蓋が魏に逃げ込んで曹操の部下となり、赤壁の戦い黄蓋が呉のために活躍したことから生まれた。苦肉の策とも。

 

 三国志最大の山場とも言ってよいのが、赤壁の戦い

 孔明周瑜による火計と苦肉の計の合わせ技により曹操の大船団は火炎地獄と化す。周瑜の策で配下の水軍に明るい蔡瑁が斬首されたことで成功した作戦ともいえる。この後、わずかな手勢で落ちていった曹操が、孔明に華容道で迎撃するよう命じた関羽に命乞いをし、かつて客として曹操にもてなされて恩義を感じていた関羽曹操を逃がしてしまう。

 

 関羽は最後孫権に捕らえられて降参するよう迫られたが聞き入れず219年12月に58歳で死す。翌220年1月には曹操が66歳で亡くなり、221年には呉の武将に張飛が殺され、223年には劉備白帝城にて63歳で亡くなる。234年に五丈原孔明54歳で死すも、死せる孔明、生ける仲達を走らす、との故事が生まれる程に、孔明の木像に恐れをなした仲達は逃げまくった。

 しかし、蜀は263年に滅び、265年には魏が滅亡し、280年に呉も亡び、晋が中国を統一したのが280年。三国志後漢から晋までの三国時代を描いた小説である。