偉人たちの挑戦 数学・天文学・地学編1 東京電機大学編

2022年2月20日第1版1刷発行

 

ブレーズ・パスカル 孤高の数学者であり哲学者

 “人間は考える葦である”で有名なスカルは自動計算機を発明し、これが源となって現在のコンピュータがある。若くして数学の才能を発揮したパスカルは、28歳で父を亡くし、第2の回心後に39歳で若くして亡くなる。パンセはパスカルの断片を死後に出版したものである。

 

関孝和 西洋に先駆けた江戸時代の数学者

 紙の上の日本初の筆算を完成させる。弟子の建部賢弘は西洋に15年先駆けて円周率を表す公式を作り上げる。

 

レオンハルト・オイラー ロシア、ドイツで幅広い活動を繰り広げた数学者

 800以上の研究論文、数十冊に及ぶ教科書を執筆。微積分、力学、弾道学、光学、音響学、天文学音楽理論、造船技術など、その分野は多岐にわたる。数独の祖父とも呼ばれる。

 

カール・フリードリッヒ・ガウス 数学の王様と称えられた偉大な数学者

 1から100までを足すといくつになるかと聞かれて瞬答する小学生だった。最小二乗法は現在でも人工衛星を追跡する際などに使われている。

 

ソーニャ・コワレフスカヤ 波乱万丈な人生を送ったロシアの女性数学者

 ロシア人で初めて大学教授として数学を教えた女性。女性が教鞭をとること自体が難しい時代の中で女性ならではの苦労を乗り越えていった生き方そのものも尊敬されている。

 

シュリニヴァーサ・ラマヌジャン 近代数学界に大きな影響を与えたインドの天才数学者

 独学で数学を学び、ノートに難解な数式や定理をびっしり書き込んでいたラマヌジャンケンブリッジの教授ハーディに送った手紙に書かれていた夥しい定理が正真正銘のものに違いないと確信したハーディはラマヌジャンと共同研究を続け、ラマヌジャンが考え出した新しい定理をハーディが厳密な照明を与えて論文形式に完成させていった。

 

アラン・チューリング 暗号解読と計算機科学の先駆者

 ドイツ軍の暗号エニグマを解読したチューリングの存在は連合国の勝因の一つ。現代のコンピュータはチューリングが中身を作り、ノイマンが箱を作ったと言える。41歳の天才は同性愛者であることが発覚すると当時のイギリスでは犯罪であったため逮捕され自殺。

 

ニコラウス・コペルニクス 近代天文学の開拓者

 1543年『天球の回転』出版。同年死亡。ルターも地動説を批判。20年後、ケプラー

ガリレオニュートンが地動説を支持。

 

ガリレオ・ガリレイ 天文学に大きな足跡を残した近代科学の父

 キリスト教が支配していた時代、ローマ法王を中心とする1つの考え方だけが正しいとされていた時代に真理を求めて真理を発見し、それを「天文対話」にまとめて架空の人物の言葉にしたが、教会は異端審問所にガリレオを呼出して説を曲げるよう強要。1989年ヨハネ・パウロ2世が350年の月日を経てガリレオが正しかったことを正式に認める。

 

ヨハネス・ケプラー 天文学に新しい時代を切り拓いた

 コペルニクスガリレオも惑星軌道は真円だと信じていたが、ケプラーは楕円であるとする第一法則から第三法則まで発見する。

 

エドモンド・ハレー ハレー彗星の出現を予言した天文学者

 周期性を持つ彗星の存在からハレー彗星を発見。次は2061年に姿を現す。その計算式を送ったのはニュートンだった。

 

ウィリアム・ハーシェル 天王星を発見して天文学者

 

伊能忠敬 初めて正確な日本地図を作った

 

ウィリアム・スミス 世界初の地質図を完成させた地質学の父

 イギリス全土の完成度の高い地質図をひとりで作成したスミスだが、身分差別を受け地質学会の妨害を受けて投獄の憂き目にある。が後にスミスの功績は評価され復権する。

 

ハインリッヒ・エドムント・ナウマン 日本の地質学研究に大きな足跡を残した地質学者

 フォッサマグナが発見されたことにより日本列島の構造・地質学が大きく発展。

 番外編だが、ナウマン森鴎外との間で仏教と日本女性を巡って論争が起こる。

 

ルフレッド・ウェゲナー 『大陸移動説』の提唱者

 ブラジルと南アフリカでしか発掘されていないメソサウルスの化石の分布状況からこの二つの大陸が陸続きだったと考えたウェグナー。地質学会は大陸移動説を長らく否定したが、ウェグナーの死後40年程してプレートテクトニクス論が登場し大陸移説の正しさが証明される。

 

エドウィン・ハッブル 従来の宇宙観を一変させた天文学者

 弁護士だったが、1年目に天文学者に鞍替えし、40歳の時、宇宙が膨張していることを発見した。