雁の寺・越前竹人形 水上勉

昭和44年3月20日発行 昭和63年4月15日41刷改版 平成7年7月5日53刷

 

表紙裏「“軍艦頭”と罵倒され、乞食女の捨て子として惨めな日々を送ってきた少年僧慈念の、殺人にいたる鬱積した孤独な怨念の凝集を見詰める、直木賞受賞作の『雁の寺』。竹の精のように美しい妻玉枝と、彼女の上に亡き母の面影を見出し、母親としての愛情を求める竹細工師喜助との、余りにもはかない愛の姿を越前の竹林を背景に描く『越前竹人形』。水上文学の代表的名作2編を収める」

 

京都の禅寺「孤峯庵」は檀家岸本南嶽が描いた雁の襖絵で洛西の名所の一つに数えられる。

孤峯庵の住職慈海和尚の下で小坊主慈念は中学校に通いながら修行を積む。慈念は貧しい大工の倅として生まれ母親が誰か分からず母親に深い疑念を持つ。慈海和尚は南嶽の死後その妾里子を愛人として囲い日々情事に明け暮れる。そんな場面をある日慈念に覗かれた里子だったが、ある時慈念の生い立ちを詳しく知り慈念と関係を持つ。ある日、寺に帰らず葬儀を執り行うべき慈海が帰寺しないため同じ宗派の和尚が葬儀を行う。葬儀の最中にふらっと慈海和尚が戻ってくるのではないかと皆思っていたが結局不帰。最後の場面で葬儀を行う2日前の深夜に酒に酔って帰寺した慈海和尚を竹小刀と肥後守で刺し殺した慈念が別の遺体の入った棺桶の中に慈海和尚を潜り込ませて何食わぬ顔で遺体を遺棄したというカラクリが暴かれるとともに、襖絵のうち子雁に餌をふくまされている母親雁だけをむしり取った跡が無残にも残されて慈念の行方が知れなくなった、これを見た里子の背筋に恐ろしい戦慄が走ったところでお終い。なんともダークで救いようのない小説だ。どうやら著者は、殺人は別として幼き頃に大変な苦労を経験して心の奥底に暗い秘密を抱えたことをテーマに自叙伝的小説にしたのではないかと言われているらしい。