歴史とは何か 新版 E・H・カー 近藤和彦

2022年5月17日第1刷発行 2022年6月6日第2刷発行

 

帯封「歴史学への最良の入門書。未完に終わった、懇切な訳注や解説、第二版への序文、自叙伝などを付した全面新訳。知的刺激と笑いに満ちた名講義が、いま鮮やかによみがえる。」「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分理解できるようになるのです。人が過去の社会を理解できるようにすること、人の現在の社会にたいする制御力を増せるようにすること、これが歴史学の二重の働きです。(本書第二講より)」。

表紙裏「歴史は現在と過去のあいだの対話である―。あまりに有名なフレーズで知られる本書『歴史とは何か』は、連続講義がもとになっており「歴史家とその事実」「社会と個人」「歴史・科学・倫理」「歴史における因果連関」「進歩としての歴史」「地平の広がり」という、歴史を考えるうえでもっとも重要な6テーマから成る。現在もなお歴史と歴史学の最良の入門書であり、古典的著作である。著者のE. H. カー(1892⁻1982)は、生前に第2版を準備していたが、序文を完成させたのみに終わった。本書は、初版の本文、および「第2版への序文」を新たに訳出し、異版も参照して懇切な訳注や解説をつけ、残されたメモから未完の第2版の内容を呈示したR. W. デイヴィスによる覚書、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えて、全面的に編集し直したものである。達意の訳文によって、知的刺激と笑いに満ちた名講義が、いま鮮やかによみがえる。」

 

E・H・カー

1892年生まれ。イギリスの歴史家。ケンブリッジ大卒後、1916年から1936年まで外務省。退職後、ウェールズ大学教授。

 

目次

はじめに(R.W.ディヴィス)

第二版への序文

第一講 歴史家とその事実

第二講 社会と個人

第三講 歴史・科学・倫理

第四講 歴史における因果連関

第五講 進歩としての歴史

第六講 地平の広がり

E.H.カー文書より――第二版のための草稿(R.W.ディィス)

自叙伝

補註

訳者解説

 

第2版への序文

「未来に希望はないという判断は、反論の余地のない事実にもとづくと称してはいるが、じつは抽象理論の構成概念なのである」「楽天的とまでは行かなくとも、せいぜい正気でバランスのとれた未来への展望を打ち出したい」

 

第1講

「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」(12p)

「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです。」(43p)

 

第2講

「歴史家とその事実とのあいだの相互作用のプロセスは、第一講で申しましたように、現在と過去のあいだの対話ですが、これは抽象的で孤立した諸個人のあいだの対話ではなく、今日の社会と過去の社会とのあいだの対話です。ブルクハルトの言では、歴史とは『ある時代が別の時代において、これは注目に値すると見なしたものの記録』であります。過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。人が過去の社会を理解できるようにすること、人の現在の社会に対する制御力を増せるようにすること、これが歴史学の二重の働きです。」(86p)

 

第3講

「エルトン氏が上手に表現しておられますが、『歴史家と歴史的事実の収集家との違いは、歴史家が一般化する点にある。』」(104p)

「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」(137p)

 

第4講

「歴史とは歴史的意義という観点からする選択のプロセスです。」(175p)

「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」(175p)

「歴史における解釈はつねに価値判断と結びついていて、因果連関は解釈と結びついています。」(178p)

「伝統とは、過去の習慣や教訓を未来へと運びこむことです。」(180p)

「『なぜ』という問いとともに、また歴史家は『どこへ』と問いかけるのです。」(180p)

 

第5講

「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」(196p)

「歴史における客観性とは事実の客観性ではなく関係の客観性、すなわち事実と解釈の関係の、また過去・現在・未来の関係の客観性なのです。」(202p)

「真実とは事実の世界と価値の世界をまたぐ語で、両方の要素からできています。」(221~222p)

 

第6講

Ⅵ 広がる地平線

マルクスおよびフロイトの著作より以降には、歴史家は自分自身を、社会の外、歴史の外に一人立つ独立独歩の個人と見なせるといった言い訳は、なくなってしまったのです。」(236p)

「重要なのは、人間が理性の意識的な行使によって環境を変えるだけでなく自分自身を変え始めたことです。」(240p)

「理性が社会のなかの人間に適用された場合、その一番の働きは、もはやただ調べることではなく、むしろ変えることなのです。この理性的プロセスの応用によって社会的、経済的、政治的なもろもろの経営を改善する人間の能力についての高度の意識こそが、20世紀革命の主要な局面の一つだと思われます。」(241p)

 

1961年ケンブリッジ大学の講演。

煎じ詰めていうと、歴史は科学ではない。歴史家は、出来事の原因を探求し、あまたの事実の中から意味のある歴史的事実を抽出し、一般化するが、法則性を見出すわけではない(未来は予測できない)。しかし一般化を避けてはいけない。教訓を引き出すのが正しい姿である。歴史家の抽出する歴史的事実には知識や経験(主観)が入り込むから、歴史家の価値・思想体系と時代そのものの価値・思想体系の把握が不可欠である。人と社会は切り離せない。歴史とは過去の諸事件と次第に現われて来る未来の諸目的との間の対話である。と言っている。