鬼龍院花子の生涯 宮尾登美子

2011年3月10日新装版第1刷発行

 

裏表紙「大正4年、鬼龍院政五郎は故郷・土佐高知の町に男稼業の看板を掲げ、相撲や飛行機の興行をうったり労働争議に介入したりの華やかな活躍を見せる。鬼政をとりまく『男』を売る社会のしがらみ、そして娘花子・養女松恵を中心とした女たちの愛憎入り乱れた人生模様を、女流作家独自の艶冶の筆にのせた傑作長篇。解説・青山光二

 

大正4年、鬼龍院政五郎は納屋堀に男稼業の看板を掲げた。大正7年、数え年12歳の松恵は、弟の拓と鬼政の家に貰われるが、拓はすぐに逃げ帰り松恵だけ養子となる。松恵は、正妻の歌、妾の〆太、笑若、つると暮らすことになった。翌年、つるが妊娠した(第1章)。

 

つるが出産した長女は花子と名付けられた。学業優秀な松恵は、人より2年遅れて第1高女に進学した。分別の全くない荒磯と手打ちしたものの、その荒磯が懲役12年となり思わず安堵した。鬼政は弱きを助け強きを挫くの精神で労働運動にのめり込む。安芸盛らを知恵袋として高知県初の労働者組織を作った。尤も金主の須田翁からの忠告で鬼政が表に出ることはなくなった。教師となり独立を夢見た松恵はお茶の水高等師範の入試を受けるため勉強し続けたが、歌とともに腸チフスにかかり受験を断念。歌は腸チフスで死去した。松恵は、2部の女子師範に通い、服役中の安芸に差入れを持って行った。出所した安芸は鬼政から出所祝いに欲しいものがあれば言えと言われて、松恵を嫁にしたいというと、鬼政は激怒し、蔭で乳くり合うとはけしからん、安芸はそんな関係ではないと言っても鬼政は聞く耳を持たず、松恵の体を確かめると言い出し、安芸はその場を収めるために小指を詰めた(第2章)。

 

花子は我儘し放題に甘やかされて育てられた。鬼政は松恵に対し獣欲を露わにし襲い掛かる。何とか逃げ出した松恵だったが、小学校教員となりようやく家を出て自活を始めた。鬼政の姉加世の下宿人だった田辺恭介と文通を始め、卒業したら結婚することを互いに約束する。鬼政が独占する相撲興行に目を付けた出所後の荒磯は鬼政を襲撃するタイミングを計り、鬼政はそれを撃退する準備を始めた。鬼政はダイナマイト使いの者を配下に置き、安心した鬼政が出掛けた時を見計らって荒磯は鬼政の家をダイナマイトで爆破し、子分もろとも吹っ飛ばした。荒磯に対する報復に向かうが、裏切り者のダイナマイト使いを殺しただけで荒磯を討つことはできず、鬼政は子分ともどもに逮捕される。松恵は退職を余儀なくされた(第3章)。

 

懲役8年の実刑判決で服役した鬼政は、地元の名士須田保次郎から絶縁される。花子は相変わらず我儘のし放題。松恵は大阪で技芸学校の舎監に就職し、田辺恭介との結婚を考える。獄中の鬼政に面会に行き了解を求めたが反対され、やむなく鬼政の了解を得ずに結婚式を挙げる。恭介の親も反対で2人は強引に別々に暮らさざるを得なくなる。松恵は矯風会で仕事を手伝いながら時々恭介と会う。出所すると、鬼政は松恵を呼び戻した。鬼政は鬼龍院家の建て直しを図るが、中風で倒れ、昭和15年、68歳で他界。神戸山口組に挨拶にいったつるは39歳の若さで急死(第4章)。

 

つるを看取った山口組の権藤哲夫と花子が急遽婚礼することになり、鬼龍院家は代替わりした。松恵は再び家を出ようとしたが、神戸に行く権藤から留守を頼まれ、神戸から間もなく戻ってくるはずの権藤だったが、浅草で山口組組長を庇って死去する。遺骨を届けに来た山口組の辻原喜八郎と花子との結婚が決まり、花子は神戸に移り住む。戸籍を見ると、つるも花子も、鬼政や権藤とのつながりを示す記載がなかった。再び大阪の矯風会に戻った松恵は月給の半分を仕送りをする条件で田辺家から同棲することが許された。花子が長男を出産し、祝いに行った松恵は相変わらず散らかり放題の部屋に呆れ返った。終戦直前に爆弾の破片が頭に当たった恭介が戦争が終わると急死しまう。葬式に駆けつけた松恵は田辺の父親から罵倒されるが、夫の遺骨を持って高知に戻る。松恵は授産所の指導員を務めた後、文化服装学院で勉強をした後、再び高知に戻り裁縫専門の南海女学校の教師となった。辻原と離婚した花子と長男寛がある日突然松恵の部屋に押しかけてきた。素行の悪い寛は母の花子を鬼政の如く折檻した。花子も働き出すがいずれも長続きせず転々としていたが、服役中の寛の面会に行く前日、突然心臓麻痺で亡くなった。45歳だった。上京の前日、松恵は本名の林田ではなく「鬼龍院花子」と書いた卒塔婆を立てる。鬼龍院家の盛衰を見届けた松恵から花子への手向けぐさだった(第5章)。