コルベ神父 優しさと強さと 早乙女勝元

2002年6月21日初版1刷

 

アウシュビッツの犠牲者数は現在約150万人と推測されている。その中に一囚人の身代わりとなって昇天したコルベ神父。47歳。

・コルベ神父が家畜用貨車でアウシュビッツ強制収容所に到着したのは1941年5月29日。囚人番号16670号。第17号ブロック。

ポーランド生まれのコルベ神父は、1894年1月8日、父ユリオ・コルベと母マリア・ドムブロフスカとの間に生まれた。ライモンドは商業学校を卒業後、修道会の小神学校に入学し、哲学博士・神学博士取得した後、祖国に帰国。来日し6年長崎で過ごしたこともある。

修道院に2000人もの避難民が頼って訪れると、ユダヤ人家族が含まれていようと、コルベ神父は匿った。ナチス憲兵はコルベ神父を呼び出し、ナチスへ協力するよう説得するが、コルベ神父は拒絶したため、逮捕されて刑務所に入れられた後、アウシュビッツ強制収容所に送られた。

・ある日、10人の生贄が選ばれ、その中にフランシースコ・ガイオニチェック氏がいた。囚人番号5659番。最愛の妻と2人の子の名前を叫んだ時、コルベ神父は身代わりを名乗り出た。「私は神父。妻もなければ、子もいません。それに年寄です。彼を、あの若い彼を、妻子のもとにかえしてやってください」というと、身代わりが認められた。1941年8月14日、餓死室でコルベ神父は享年47歳で亡くなった。死亡記録の死亡理由は空欄だった。

 

コルチャック先生とは異なりますが、至高の人間性に感動します。