私の履歴書 堤康次郎(衆議院議長) 日本経済新聞社

昭和55年6月5日1版1刷 昭和59年2月23日1版15刷

 

①進学をやめて百姓に

②最初の事業肥料商に失敗

③擬国会初のクーデター

④三等郵便局長になる

⑤鉄工場、雑誌経営で失敗

⑥「船」も「真珠」も見事に失敗

⑦悩みの果てに浮かんだ奉仕の心

⑧政治家第一歩

⑨危なかった匪賊の襲撃

武蔵野鉄道のこと

⑪ストのない私鉄

 

明治22年、滋賀の農家で生れる。幼い頃、父と死に別れ、祖父母に育てられた。中学の入学手続きを済ませた直後に百姓になると宣言して15歳で肥料の販売を始めた。客は一人も現れなかったが、この肥料のお陰でれんげが大豊作だった。再度勉強し直して郡役所の雇となった。早稲田大学に入学後に弁論部に入る。株で儲けた金で三等郵便局長の権利を買い、大学卒業後は色々経験したが、悉く失敗。奉仕の心で不毛地の開発事業に取り組む。36歳で農政改革をスローガンにして代議士となる。当選4回目で拓務政務次官となる。多摩湖鉄道を創立し、武蔵野鉄道と西武を合わせて、現在の西武鉄道の形にした。