紫匂う《下》 葉室麟

2022年5月20日発行

 

雫亭に向かって3人は蔵太を先頭に道なき道を歩いて行く。澪を背におぶった蔵太は「ひとは誰も様々な思いを抱いて生きておる。そなたの胸にもいろいろな思いがあろう。そなたの心持ちが葛西殿へ通じておるのであれば、心に従って生きるのを止められぬ、とわたしは思った。しかし、そうでないのならば、わたしとともに生きて参ろう。たいしたことはしてやれぬかもしれぬが、危ういおりに、ひとりでは死なせぬ。ともに死ぬことぐらいはできるぞ」と告げる。途中で足を痛めた蔵太は、澪と笙平の2人を雫亭に向かわせた。2人が無事雫亭に到着すると銃声が聞こえ、澪は芳光院が止めるのも聞かず夫の蔵太の下に戻った。澪は蔵太と再会し2人で再び雫亭に向かった。が山狩りの連中に囲まれ、蔵太のライバル七郎兵衛が現れ、鉄砲隊も蔵太らを取り囲み、絶体絶命のピンチに陥った。そこに蔵太に面倒を見てもらっていた山の民が現れて蔵太と七郎兵衛の一騎打ちとなった。蔵太は澪を庇いながら七郎兵衛を討ち取り、2人は芳光院に謁見した。芳光院は澪だけを雫亭に残し、2人を連れて詮議に臨んだ。澪の前に志津が現れ、自害せよと迫ったが、澪は恥じることはしておらず拒否し、女は刃で戦わずとも心映えで戦えると言い切り、志津を追い返した。蔵太は澪のいる雫亭に戻り、「ひとの生き様はせつないものだな」というと、澪は「わたくしにも迷いがあったように思います。どうすればひとは迷わずに生きられるのでしょうか」と返す。蔵太は「さようなことはわたしにもわからぬ。ただ、迷ったら、おのれの心に問うてみることだと私は思っている」、「知恵を働かせようとすれば、迷いは深まるばかりだ。しかし、おのれにとってもっとも大切だと思うものを心は寸分違わず知っている、とわたしは信じておる」と語り、蔵太の答えが澪の胸にしみ渡った。澪は屋敷でなく雫亭に咲いた紫草を見つけた。作品は冒頭で、澪が男の名を叫び、その名を澪は夫に聞かれたのか心配する場面から始まるが、澪は果たして誰の名を叫んだのか、終盤で明かされる。もしかしたら笙平の名を叫んでいたのではないか?と不安がる澪だったが、そうではなかったと知って、きっと全ての読者は安堵することだろう。蔵太と澪の間に誕生した2人の子由喜と小一郎は清涼剤のようだ。この両親にしてこの子あり。特に由喜はこまっしゃくれた言葉であるが、両親の帰りを待つ際、祖父母に対し、「父上はとてもお強い方ですが、お心はこの小さな花のようにやさしい方です。どんな大敵をも恐れず、小さきもの、弱きものには常にやさしい心を注いでおられます。そのような父上こそ、まことの武士だとわたしは思っています」「私は小一郎に父上のような強いだけでなく、思い遣り深い武士になって欲しいと思います」と語り、2人が必ず無事に帰ってくるのを確信しているあたりは、なんとも微笑ましさを覚える。