嬉しうて、そして 城山三郎

2007年8月18日第1刷発行

 

目次

1 私の履歴書

2 政治とは

3 経営とは

4 人間とは

 

・名古屋出身、軍に召集されないために理科系専門学校の県立工専に合格したが、そのうち志願して一身を国に捧げたいと思いつめ、徴兵猶予取消願いを届け、海軍特別幹部練習生となった。ところが非人間的、非常識な訓練や生活を強制され、人間としての理解や愛情が吹き飛んでおり、当然のことながら帝国海軍は消えて行った。愛知学芸大学へ勤務する傍ら、金城女子学院大学の講師を務め、文学好きが集まった「くれとす」会という勉強会に参加した。

・「私をボケと罵った自民党議員へ」という櫻井よしことの対談で、著者は個人情報保護法案に反対していた。読売新聞が修正案を出したことに危惧感を抱いていた。第64回文藝春秋読者賞を受賞した。

・「人間を見つめる力が足りない」では、ソニー井深大さんを引き合いに出し、彼は暇さえあれば社員の顔写真を見ていた。誰と誰を組み合わせれば個々人の力を最大限に発揮できるかを真剣に考えていた、とある。

・立花大亀の「担雪埋井(たんせつまいせい)」という言葉が好きである。

安岡正篤先生は「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わず、以て大事を成すべし」という曽国藩の言葉を、東京電力会長の平岩外四さんに贈った。平岩さんは毎日呪文のように唱えて苦境を乗り切った。「三日書を読まざれば面猊憎むべく語言味なし」(中国の黄山谷)。「漫然と生きていたのではその人に転機はないだろう・・・自分が何をしたいかわかっていれば、何歳になっても転機はあるだろう。人生に何を求めるのか。我慢強い問いかけの先に転機は訪れる。そのときは飛び込み、つかみ、育てなさい」

<あとがき>は城山の娘である井上紀子さん。