1992年4月15日発行 1996年1月30日9刷
帯封「第14回吉川英治文学新人賞受賞! 押し寄せる感動 血沸き肉躍る大河小説の興奮 選考委員各氏を哭かしめた熱い熱い物語」「朝鮮海峡に逆巻く感動の嵐! すべてを奪ったかの地に、男は半世紀ぶりに渡ろうとしていた。命に代えても、やるべきことがあった。朝鮮半島の側から、日本人の手で描かれた、悲しくも熱い復讐物語。何度拭っても拭いきれぬ、痛恨の思いとは何なのか。」
17歳だった河時根は、家族の生活を守るために、父の代わりに日本に赴く。炭鉱の労務課の日本人は彼らの尊厳を無視し、逃亡を企てた者への徹底した拷問を繰り返す。当然のことながらそのまま何人も死んでいく。故国を思いながら仲間でアリランを歌い耐え続けた河時根たちの苦悩は続く。食事もピンハネして私腹を肥やす労務課の極悪非道ぶりは読むに堪えない。筆者が拷問を経験したかのように凄まじい拷問の場面がこれでもかこれでもかというくらいに続く。日本人はこれほどまでに朝鮮人に対し非人道的なことをしていたのか、韓国や北朝鮮の人たちからすれば、時間が経ったとはいえ、日本人のやったことが許せないのは当然のことだと思う。日本人は同胞が何をやったのか、事実をきちんと知ったうえで物を考えないといけないと改めて自戒を込めてそう思った。炭鉱からの脱出に成功した河時根はやむなく一人を殺して埋めた後に立ち去るが、毎夜の如く悪夢に魘されて苦しむことになる。土方の仕事場で知り合った未亡人の佐藤千鶴と切り離すために別の現場に移される河時根だったが、雨が降り仕事が休みの日に千鶴は本名の「河時根」と呼びながら二人は結ばれた。
場面が変わり、息子の佐藤時郎と40数年ぶりに再会してビールを酌み交わす。2年程一緒に暮らしたがその後妻子を残して本国に戻ったために河時根は自責の念に駆られていた。千鶴は河時根を優しく立派だったと口癖のように子どもに言い聞かせ、靴磨きをしながら靴墨の行商をして時郎を教師になるまで育てた。時郎は再会したときに河時根が金で解決しようとしたら即座に席を起つつもりでいたがそうでなかったので泣き笑いの顔で河時根から母の事を聞く。
再び逢瀬を重ねる二人の場面に切り替わる。千鶴は子を宿した。日本の敗戦間近に一緒に朝鮮に帰ろうと誘う。河時根と共に韓国に渡る決断をする。その前に炭鉱に戻って未払の賃金を回収する。約束の置手紙の場所に行くと、明日迎えて来てと書いてあった。父に発覚し、家を捨てた千鶴は、河時根と一緒に密航船に乗るまでの間、炭鉱から逃亡した際に協力してくれたハルモニ食堂に身を隠す。船の手配がようやく整い二人で渡航を果たす。千鶴のお腹の中には二人の赤ちゃんもいた。
韓国に帰った河時根だが、父は一足先になくなり、母と兄が待っていた。が千鶴を認めず出ていくよう告げられ、李爺さんを頼って家を出る。無事出産を終え平穏な日々を暮らしていたが、ある時、炭鉱での横暴な態度に恨みを買った朴が殺され、河時根が誤って逮捕される。真犯人が現れて釈放されて李爺さんの家に帰ると、千鶴が日本から来た父に連れ戻された後だった。千鶴の置手紙を読み、河時根や子のために日本に帰ること、しかし日本に帰っても河時根の妻でいること、子どもを立派に育て上げあげる誓いが綴られていた。
我武者羅に働いた河時根には新しい家族ができた。
場面が再び三たびの海峡を渡った日本に戻り、時郎の車で様変わりした当時のハルモニ食堂があった土地やボタ山、そして千鶴と二人で会っていた海岸の松林へ赴く。どれもこれも昔の姿の面影はなく、同胞を埋めた御墓の跡も廃墟と果てていた。近くに千鶴の墓があるとも聞く。時郎は炭鉱で生きた人々の生活史を子供たちに教える教師になっていた。炭鉱の歴史を無視することは近代史を空洞化させ未来への展望を歪めてしまうと語る。そしてボタ山の再開発を計画する市長は炭鉱で最も権限を持っていた男だった。河時根は地主に会う段取りを時郎に頼む。地主に会うとありきたりの記念館を建てるのではなく広大な炭鉱村を再現させ歴史そのものとして残すべきだと説得し、財源の援助も申し出る。時は市長選挙戦の最中。公開討論会に参加して話をすることになった河時根は、多くの聴衆の前で、市長が昔は炭鉱の寮の独裁者としてピンハネし拷問し人を人とも思わない態度で朝鮮人を朝から晩までこき使い拷問や病気で亡くなった人々の墓が残るボタ山を消し去るために再開発し、福祉施設を建てるなどという資格があるのかと淡々と詰め寄っていく。終了後、炭鉱で朝鮮人でありながら日本人の下で働きその後帰化して実業家に転身した男を坑夫の墓までタクシーで連れて行くが過去に亡霊に取りつかれているだけだと開き直る始末だった。
河時根は日本の息子と釜山の息子にそれぞれ遺書を送っていた。その内容が最後に書かれている。釜山の息子には今まで全く語ってこなかった自身の歴史を公開してよいと言葉を添えて赤裸々に。そして日本の息子にはそこで語っていない本当の事を含めて。炭鉱の寮でリーダーだった金東仁さんが同胞に裏切られて一言悔しいと言って自殺に追いやられて復讐を遂げようと決意した河時根は広島・長崎が世界中の人間にとって特別な土地であるように炭鉱村が朝鮮半島と日本の人びとにとって必見の場になってほしい、二つの国の人々がそこで悲しい過去を検証しあい二度と同じ轍を踏むことがないように願っていること、そして炭坑で会う約束をした帰化人にインスリン注射を打ち、自らも同様に打って復讐を遂げる予定であることを切々と綴っていた。おしまい。
なんという悲劇であろう。炭鉱の歴史を知らなさすぎる。強制連行、徴用工の問題と表面的に論じることの恐ろしさを思い知らせれた。