林蔵の貌《四》 北方謙三

2004年5月20日発行

 

 村垣定行はシーボルトの行状を探った。林蔵も野比秀麿からの指示でシーボルトを調べ会おうとしていた。高橋景保は林蔵をシーボルトに引き合わせた。重豪は林蔵に薩摩に入るよう命じた。シーボルトは内密に事を進めるに当たり重豪を相手とした。林蔵は野比を殺害した。伝兵衛は林蔵と小太郎を乗せた宇梶屋の船を薩摩に向かわせた。薩摩で林蔵が襲われた。小太郎が殺された。林蔵は村垣にシーボルトのことを報告した。水戸斉昭と藤田東湖が林蔵を訪ねてきた。林蔵に狩野信平のかわりを蝦夷地でやらせようとしたが、林蔵は断った。高田屋嘉兵衛が林蔵を訪ね、近藤重蔵の事件が何を意味するか尋ねた。朝廷は近藤重蔵を通じて薩摩と高田屋嘉兵衛との連携を考えていた。再び村垣から林蔵は呼び出され、シーボルト追放の密命を与えた。これが実現できればシーボルトと重豪の接近を封じることが出来た。林蔵は宇梶屋に唐船を手配させ、その船に伝兵衛が乗せるよう指示した。重豪とシーボルトの利害は一致していた。北とオランダとの交易を増やし、更に薩摩船を使うことで利幅を増やすことができた。林蔵は北との交易を絶ち、シーボルトを追放するために、最上徳内が禁制品の地図をシーボルトに渡していると考えられることを利用しようとしたが、川路聖謨から最上徳内を利用するのをやめるよう仄めかさて、高橋景保が禁制品をシーボルトに渡したことで捕縛される作戦に切り替えた。島津重豪は林蔵を呼び出し薩摩のために働くよう直接交渉するが、林蔵は断った。高橋景保は林蔵の密訴により捕縛され獄死した。一旦は遠国御用を解かれた林蔵は村垣に長崎に再び遠国御用を命じるよう求めた。これを命じなければ村垣は重豪と組んで謀叛を犯したとして死罪を免れない毒が林蔵に仕込まれていた。林蔵は今和泉景茂と近藤重蔵を葬った。林蔵は最後に島津重豪の前に姿を現し、水戸藩の狩野信平のためかと問われたことには答えず、重豪の野望を打ち砕いたことだけ伝えた。