非暴力の人物伝1 マハトマ・ガンディー/阿波根昌鴻 支配とたたかった人々 たからしげる 堀切リエ

2018年7月13日第1刷発行

 

マハトマ・ガンディー インド独立を非暴力でかちとった

 序章 サティヤ―グラハとは

    サティヤーは「真実」、グラハは「つかむ」。サティヤーグラは非暴力・不服従のこと。

 1 少年時代 1869年10月2日生まれ

    ラーマーヤナに影響を受けて父や母を大切にする息子になろうと心に誓う。

    13歳で結婚し18歳でイギリスへ単身留学。

 2 南アフリカ

    1891年ロンドンで弁護士の資格を取るが、人前で話をするのが苦手だったため、初めての法廷で相手側証人に反対尋問しようとしたとき誰もが笑ってしまうほどの惨めな結果に終わる。代金をそっくり依頼人に返して法廷から逃げるように姿を消す。

    そんな時に南アフリカ連邦の現地会社の顧問弁護士の話を受けて1983年に南アフリカに旅立つ。ところが道中の汽車、ホテル、住居で悉く差別を受けて現状を変えるために立ち上がる。この時暴力に対して非暴力・不服従による抵抗運動を始める。

 3 インドへ帰る

    21年後に祖国インドに帰った時、46歳。チャルカを独立運動のシンボルにして抵抗運動を始める。ところが1919年4月13日、アムリットサルの悲劇が起こる(イギリス軍が抗議集会に集まった無抵抗のインド人を無差別に射殺)。

 4 塩の行進

    暴力には暴力で対抗しようとするインド人に対し、ガンディーは「仲間や身内を殺されて、相手をやつざきにしてやりたいという気持ちはわかります。しかし、敵をゆるすことは、敵を罰するより、ずっと気高い行為だということを、どうか忘れないでほしい」「暴力によって真理を普及させることはできません。自分たちの目標が正しいと信じる人たちは、無限の忍耐をもたなければいけません。そうした人たちだけが、明らかに罪となる不服従に走ったり、暴力にうったえたりすることなく、市民としての不服従をなしとげることができるのです」「力は、腕力からではなく、不屈の意志から生まれます」などという言葉を書いて新聞に載せる。

   しかし暴動は治まらず、一たびはガンディーはサティヤーグラハ運動の中止を宣言。熟慮の末に1930年3月12日、60歳になっていたガンディーは潮の行進を開始する。はじめは78人の参加者で390キロの道のりを歩き始めた。次第に参加者が増え列の長さは3キロにまで達する。

 5 インド独立と暗殺

    遂には500万人もの人々が参加し、鎮圧にうごいたイギリスは数週間のうちに次々と逮捕して10万を超える人々を刑務所に入れる。ガンディーも繰り返し逮捕される。

    1947年8月15日、インド独立が遂に実現するも、パキスタンと対立。

    1948年1月30日、狂信的なヒンドゥー教徒の凶弾に倒れる。

    初代首相のネルーは「これほど長く、この国を照らしてくれたバプーの光は、これから先も長いあいだ、おそらくは1000年先でもなお、わたしたちの国を照らしだしてくれるのではないでしょうか」とラジオ番組で話す。

 

阿波根昌鴻 「命こそ宝」をかかげ基地に反対した

 序章 沖縄のガンディー

 1 とにかく勉強がしたかった

    1903年沖縄県北部の上本部村で生まれる。

    20歳を過ぎてキューバ、ペルーで苦労しながら働き、15年後に沖縄に戻る。

    西田天香『懺悔の生活』に影響を受け、西田に諭されて沼津の興能学園で1年程学び沖縄に帰る。沖縄で農業学校をつくる。

 2 土地をうばった米軍

    終戦後、沖縄本島にやってきた米民政府による土地調査の際、調査の手伝いにお礼に払うからハンコを押してくれと言われてハンコを押したら退去するという書類にハンコを押させられていたのに後で気づく。強制的に土地を奪われるものの、昌鴻たちは米軍と戦い続けるための決まりを作る。

   1、怒ったり悪口を言ったりしないこと。うそや偽りを言わないこと。

   2、米軍と話をするときは、何も持たないで、すわって話すこと。

   3、耳より上に手をあげないこと。

   4、大きな声を出さず、静かに話す。

   5、人道、道徳、宗教の精神と態度で接し、道理を通してうったえること。

   (1954年10月13日 要約)

 3 人間としてのたたかい

    米軍は結局10万坪の土地を焼き尽くし爆撃の演習場をしてしまう。それでも粘り強く反対運動を続ける。

 4 米軍との根くらべ

    乞食のような生活も厭わず、沖縄本島でもデモ行進を行い、1961年には「伊江島 土地を守る会」ができて昌鴻は代表に就任。島の青年たちに教育を受けさせるために青年たちを東京の中央労働学院(現在の東京文科アカデミー)に送る。ベトナム戦争反対の声画大きくなる中、1963年、昌鴻自ら中央労働学院に入学して講義聴講し31冊のノートをとりつづけた。1967年、米軍演習地入口い「団結道場」の建設をはじめ、1970年に出来た道場の壁には「米軍に告ぐ 土地を返せ ここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地だ(略)

 剣をとるもの剣にて亡ぶ(聖書) 基地を持つ国は基地にて亡ぶ(歴史)」と書いた。

 5 命を生かしあう道

    1972年、沖縄復帰。1984年「わびあいの里」、「やすらぎの里」、反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を作る。2002年3月21日、昌鴻は100歳で亡くなる。

 

 

20世紀女性文学を学ぶ人のために 児玉実英/杉野徹/安森敏隆 (編)(その2)

2007年3月10日第1刷発行

 

Ⅳ 20世紀女性文学への案内(日本の作品30編、英米中心の作品50編)

  1. 与謝野晶子『みだれ髪』(外村彰)
  2. ベアトリクス・ポター『ビターラビットのおはなし』(杉野徹)
  3. 山川登美子ほか『恋衣』(外村彰)
  4. セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスのふしぎな旅』(北脇徳子)
  5. ルーシー・モード・モンゴメリ赤毛のアン』(小山薫)
  6. ジーン・ウェブスターあしながおじさん』(辻英子)
  7. 平塚雷鳥『元始女性は太陽であった』(外村彰)
  8. ウイラ・キャザー『おお開拓者よ!』(西田智子) 
  9. 野上弥生子海神丸』(外村彰)
  10. キャサリンマンスフィールド園遊会』(玉川佳子) 
  11. ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(風間末起子)
  12. パール・バック『大地』(児玉佳與子)
  13. パメラ・リンドン・トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(南大路文子)
  14. アガサ・クリスティオリエント急行の殺人』(小山薫)
  15. 宇野千代色ざんげ』(外村彰)
  16. 宮本百合子『冬を越す蕾』(外村彰)
  17. 岡本かの子『鶴は病みき』(外村彰)
  18. マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ』(竹村憲一)
  19. アンネ・フランクアンネの日記』(小山薫)
  20. トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』(辻英子)
  21. シモーヌ・ド・ボーヴォワール第二の性』(荒木八千代)
  22. ユードラ・ウェルティ『黄金の林檎』
  23. ドリス・レッシング『草は歌っている』
  24. 林芙美子浮雲
  25. 壷井栄二十四の瞳
  26. 中條ふみ子『乳房喪失』
  27. フランソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』
  28. 幸田文『おとうと』
  29. エルサ・モランテ『禁じられた恋の島』
  30. イーディス・シャトウェル『コレクテッド・ポエムズ』
  31. 円地文子『女面』
  32. 茨木のり子『見えない配達夫』
  33. フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』
  34. アイリス・マードック『鐘』
  35. 佐多稲子『歯車』
  36. 有吉佐和子『紀ノ川』
  37. 倉橋由美子パルタイ
  38. ミュリエル・スパーク『独身者』
  39. エドナ・オブライエン『カントリー・ガール』
  40. レイチェル・カーソン沈黙の春
  41. 田辺聖子『感傷旅行』
  42. 瀬戸内晴美『かの子撩乱』
  43. 三浦綾子『氷点』
  44. シルヴィア・プラスエアリアル
  45. ジョイス・キャロル・オーツ『贅沢な人びと』
  46. ペネロピ・ファーマー『ある朝、シャーロットは…』
  47. 曽根綾子『傷ついた葦』
  48. スーザン・ヒル『ぼくはお城の王様だ』
  49. ジャンナ・マンツィーニ『立てる肖像』
  50. マーガレット・ドラブル『針の眼』
  51. 河野裕子『森のやうに獣のやうに』
  52. 宮尾登美子『櫂』
  53. メイ・サートン『今かくあれども』
  54. 森茉莉『甘い蜜の部屋』
  55. ニーナ・ボーデン『ペパーミント・ピッグのジョニー』
  56. 斉藤史『ひたくれなゐ』
  57. 高橋たか子『誘惑者』
  58. ルース・レンデル『わが目の悪魔』
  59. 中沢けい『海を感じる時』(真銅正宏)
  60. ナディン・ゴーディマ『バーガーの娘』(越智礼子)
  61. アドリエンヌ・リッチ『嘘、秘密、沈黙。』(西口純子)
  62. 道浦母都子『無援の抒情』(安森敏隆
  63. ダーチャ・マライーニ『メアリー・ステュアート』(南大路文子)
  64. トニ・モリスン『タール・ベイビー』(森あおい)
  65. イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』(児玉富美恵)
  66. アリス・ウォーカー『カラーパープル』(児玉佳與子)
  67. アニタ・デサイ『デリーの詩人』(植木照代)
  68. 山田詠美『ベッドタイムアイズ』(真鍋正宏)
  69. エミリー・ロッダ『ふしぎお国のレイチェル(ブタも飛ぶかもしれない)』(関淳子)
  70. 俵万智『サラダ記念日』(安森敏隆
  71. 吉本ばなな『キッチン』(真鍋正宏)
  72. イリーナ・ラトゥシンスカヤ『強制収容所へようこそ』(西口純子)
  73. フェイ・ウェルドン『女ともだち』(辻裕子)
  74. 孫愛玲『斑布曲 彩りの道』(杉野徹)
  75. 朱天文『世紀末の華やぎ』(植木照代)
  76. ユン・チアン『ワイルド・スワン』(ジュリエット・カーペンター)
  77. スーザン・ウォジェコウスキー『クリスマスのきせき』(杉野徹)
  78. 申京淑『離れ部屋』(北脇徳子)
  79. J・K・ローリングハリー・ポッターと賢者の石
  80. ルース・L・オゼキ『イヤー・オブ・ミート』(植木照代)

 

 まだ、大半が未読である。本書を時に手にしながら、ここに挙げられている作品は出来ればすべて読んでみたいと思う。。

20世紀女性文学を学ぶ人のために 児玉実英/杉野徹/安森敏隆 (編)

2007年3月10日第1刷発行

 

Ⅰ 20世紀女性文学の見どころ 児玉実英

 1 長編大河小説の伝統、大家族の分裂がどうなったのかという視点から、

   『フォーサイト家物語』(ジョン・ゴールズワージー)、パール・バック『大地』、マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ』、有吉佐和子『紀ノ川』を紹介。

 2 子どもへのまなざしと大人への目配り

   19世紀の『アリス』『小公子』より、目線が子どもの目線に近づいたものとして『ピーターラビットのおはなし』『ニルスのふしぎな旅』『赤毛のアン』『あしながおじさん』『風にのってきたメアリー・ポピンズ』『たのしいムーミン一家』を挙げる。

   この両方が混在し、人間同士心を通わせることの大切さが語られているものとして『トムは真夜中の庭で』(ピアス)『ふしぎの国のレイチェル』(ロッダ)を挙げる。

 3 創作技法の展開

 4 戦争にまきこまれた女性たちはどう生きたか

   『希はしき子供』(ザイデル)、『第二の性』(ボーヴォワール

 5 外国女性作家たちの日本への関心

   『日本のナイティンゲイル』、『龍の画家』(フェノロサ)、『サヨナラ』(ミッチェナー)、

   『アメリカ人の目をとおした日本人』(シーラ・ジョンソン)、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォ―ゲル)、『さゆり』(アーサー・ゴールデン)、『紫式部物語』(ライザ・ダルビー)

6 個の声をあげ始めた人たち

  『今かくあれども』(メイ・サートン)、『櫂』(宮尾登美子)、『サンダカン八番館』(山崎朋子)、『妻たちの2・26事件』(澤地久枝)、『強制収容所へようこそ』(イリーナ・ラトゥシンスカヤ)、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン

7 スポットライトをあてられた男性像の変化

  『高慢と偏見』(オースティン)、『大地』、『カラーパープル

Ⅱ 世界の動きー女性作家たちをめぐって 

 1 ヨーロッパにおける女性の目覚めと自立への戦い 保坂一夫

 2 日本女性作家たちの外国との関わり 井上健

   -1960年代の大庭、有吉、そして倉橋を中心に

   「パルタイ」(倉橋)、「三匹の蟹」(大庭)、「非色」(有吉)

 3 ネグリチュード(黒人精神)と黒人女性作家の意識 森あおい

   -ナルダル姉妹からトニ・モリスンへ

 4 激しい近代化へのとまどいと適応 ロナルド・クライン

   -アジアにおける新旧価値観の相克

 5 多文化主義の流れ 杉山直子

   -アジア系アメリカ女性の挑戦

 

Ⅲ 20世紀女性文学の新視覚

 1 20世紀に見る女歌の系譜 安森敏隆

   -『みだれ髪』から『サラダ記念日』へ

 2 少女マンガとフェミニズム 杉野徹

  -1970年代、黄金時代の一断面

  2)戦う少女―池田理代子ベルサイユのばら

       3)少年愛竹宮恵子風と木の詩』を中心に

  4)意識の流れ―大島弓子『バナナブレッドのプディング』の場合

 3 実践としての文学と理論 中川成美

   -21世紀からのフェミニスト批評とジェンダー理論

  1)ジェンダーアイデンティティという罠―ジュデス・バトラーの場合

  2)正当な居場所を求めてー笙野頼子の場合

  3)文学におけるフェミニズム批評、およびジェンダー理論

 4 日本人はアメリカの女性作家たちにどのように描かれてきたか 羽田美也子

   -ジャポニズムからライザ・ダルビーまで

 

 まだ、大半が未読である。本書を時に手にしながら、ここに挙げられている作品は出来ればすべて読んでみたいと思う。

バイロン詩集 阿部知二訳

昭和38年11月20日初版発行 昭和61年3月31日26版発行

 

ハロルドの旅

 フロレンスに

   6

  ことばを許せよ、いかに君を傷つけるかを

  知りながらのこの一言をゆるせよ

  君の心のなかに生きることのかなわぬうえは

  君よ、信ぜよ、私が君の友なることを信ぜよ。

   7

  ああ、美しい流浪のひとよ、心こよなく冷い男も

  君を一眼みては、友とならずにおられようか

  人は、つねに、悩める美しい人をみては

  その友となることを願わずにはいなかった。

 

恋と悩み

 この悩ましき生身を、冷たきものの包むとき

   4

  愛、希望、憎しみ、怖れーその上に

  魂はただ感動もなき純粋のままに生きん

  時代は、1年のごとくみじかく流れゆき

  年は、ただ瞬間のごとくただよわん

  はるかに、はるかに、-翼もなく

  すべての上に、すべての中に、-思念は翳りて

  名もつけがたく、永劫なるもの

  死滅することも忘れはててあらん。

 

 私は世を愛しなかった

   2

  私は世を愛しなかった、世もまた私をー

  所詮、敵ならばいさぎよく袂を別とう

  だが私は信じたい、彼らには裏切られたが、

  真実ある言葉、欺きえぬ希望があり

  めぐみ深く、過失の穿を造らぬ美徳があると

  また、人の悲しみを心から悲しむものもおり

  一人か二人かは、見かけと変わらぬものもあり

  善とは名ばかりでなく、幸福とは夢でない、と。

 

追放者・英雄

愛の幻滅

  8

 あらゆる悲劇は、死をもって幕を閉じ

 あらゆる喜劇は、結婚とともに終る。

 そののちのことは、ともに、信心によるが

 作者たちも、その後のことは、悪口はいわぬことにするのは

 もしも、失敗れば、ともにひどく責められるからだ。

 それで、二つとも、坊さんか祈禱書かに任せておき

 死とか、奥方のことは、一切語らぬことにする。

 

宵の明星

  1

 宵の明星よ、お前のもたらすもののめでたさ

 うらぶれたものに故郷を、餓えたものに歓びを

 雛鳥には、親鳥のつばさの覆いを。

 疲れはてた牛には、憩いの小舎を。

 われらの炉辺にただよう平和なもののすべてが

 われらの家の、神の護りまもう麗しいもののすべてが

 お前のやすらかな面のうちに、よみがえってくる

 お前はまた、母のふところに、子供をかえす。

 

ロンドン生まれで貴族の子だったバイロン。激情と暗愁にこもごも身をまかせているうち悩みにたえかねたように旅に出た。放浪の歌、浪漫的な歌、奔放な想像力、風刺、色々な内容を占めている、というのが巻末の解説の要約。年代順にバイロン叙情詩鈔というべきものが訳された本書の中から、気に入った箇所を抜き書きしました。

池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々 ロシアに服属するか、敵となるか 池上彰

2022年4月26日初版第1刷発行

 

帯封に「解説!ロシア対ウクライナ それでもロシアは戦争を選んだ なぜ?」「池上彰ウクライナ情勢を徹底解説! ・ロシアはウクライナを全部ロシアのものにしようとは考えていない。いったい、なぜか? ・ロシアがウクライナから奪ったクリミア半島。現地の住民がロシアに感謝する理由とは? ・ チェルノブイリ原発事故が起きたウクライナ原子力発電にこだわったのはどうしてか? ・穀倉地帯ウクライナで大飢饉が起きた理由は? ・東京都が日本を乗っ取ったような『ソ連邦解体』」とある。帯封裏には「ロシアが戦争をしかけたウクライナ。世界から孤立し、ロシアを頼るベラルーシなど、旧ソ連の国々や東欧諸国を徹底解説東京都立青山高等学校の生徒たちとの白熱授業を書籍化!」とある。表紙裏には「第1章 ソ連中央に支配された連邦の国々と東欧 周囲の国々を衛星国としたソ連。その理由となったトラウマとは? 第2章 ソ連が崩壊し、15の共和国が誕生した 国内で不評だったゴルバチョフの改革 第3章 ロシアの脅威に身構えるバルト三国 杉原千畝ゆかりの国が持つ悩みとは? 第4章 『スタン』の名がつくイスラム諸国 『豊かな北朝鮮』と呼ばれる国は? 第5章 ロシアにすり寄ったベラルーシ、侵略された

ウクライナ ウクライナのロシア嫌い、その原点は?クリミア併合時、プーチンは嘘をついた! 第6章 EUとの溝が深まるポーランドハンガリー 民主化した国がなぜ右傾化したのか?」とある。

 

 第1章では「資本主義の国々からの攻撃がトラウマに」「フルシチョフの『スターリン批判』の衝撃」が、

 第2章では「転機となった米ソのドクトリン」「チェチェン弾圧で大統領になったプーチン」(プーチンチェチェンの独立阻止を「テロとの戦い」に変えるイメージ戦略に成功)が、

 第3章では「『歌う革命』と呼ばれた」「超電子立国エストニアの裏事情」「リトアニアにあるロシアの飛び地」(カリーニングラード州)が、

 第4章では「トルクメニスタンは『豊かな北朝鮮』⁉」が、

 第5章では「なぜ『白ロシア』と呼ばれていたか」「国家による民間航空機ハイジャック」(反体制派ジャーナリストのロマン・プロタセビッチ氏を逮捕するため)、「ロシアによるウクライナ侵攻」、

 第6章では「『ワルシャワ蜂起』をソ連が見捨てた」「隠されていたカティンの森の虐殺」「オルバーン政権がEUの民主主義を揺るがす」(当初民主化運動の先頭に立っていたオルバーンは、セルビアとの国境に175キロ、高さ4mのフェンスを設けてハンガリーに難民が入ってこないようにしたり、2021年6月には反LGBT法を制定するなどした)が、

 大変勉強になりました。

ピータ―ラビットのおはなし ピアトリクス・ポター作・絵 いしいももこ訳

1971年11月1日発行 2002年10月1日新装版発行 2019年11月5日新装版改版発行

2021年8月5日新装版改版第5刷

 

「あるところに、4ひきの 小さな うさぎがいました。なまえは、フロプシーに モプシーに カトンテールに ピーターといいました」から始まる、第1作目の発行部数は4500万部を超え、累計2億5000万部を超える、最も有名な絵本の一つ。子ども向けの絵本だが、大人が読んでも大変興味深い。内扉(本文が始まる前の表紙のすぐ裏)には、耳だけ出して布団にもぐりこんでいるピーターにお母さんウサギがカップの中でスプーンをかき混ぜで何かを飲ませようとする絵がある。これは恐らく物語の最後に出てくる場面だろう。ピーターが命からがらマクレガーから逃げて来て家に辿り着いたものの、マクレガーの畑で野菜を食べ過ぎておなかを壊したためにお母さんがお薬を飲ませるセリフがあるが、きっとその場面のことだと思う。前もってお母さんから注意されていたのにそれを聞かずに勝手なことをして結局お母さんに面倒をかけてしまってお母さんにあわせる顔がないというピーターの姿を印象的に冒頭に絵で語らせているのだと思う。

 これは小説の冒頭で結論的なことを述べた上で、どうしてそういうことになったのかをこれから解き明かすという小説の手法を、文章と絵で交錯させながら、そして子供向けだからそんな絵で引きつけておいて物語を一気に読ませるという特殊というか独特の手法なのだと思う。

 こんな分析をしている人がいるのかどうかは知らないが、私はそう思った。

 

 この後も、文章と絵が交互に続くが、文章はとてもタンタンと物語として進んでいくが、絵の方が強いメッセージを発している。ピーター以外の3人の兄弟はお母さんウサギのことを良く聞くいい子なのだが、ピーターはお母さんの言うことを余り聞かない性格なのだろう、ピーターが一人だけお母さんに背を向けている絵が印象的だ。

 実は、このときお母さんが子どもたちに伝えていたのは、「マクレガーさんとの、はたけにだけはいっちゃいけませんよ、おまえたちのおとうさんは、あそこで、じこにあって、マクレガーさんのおくさんに にくのパイにされてしまったんです」、というセリフだ。このセリフだけでも十分ドキリとさせられるのだが、それと並んでピーターがお母さんに反抗的な態度を取っているから、その先の展開はある程度予想がつく。

 だからだろうか、お母さんの言いつけを守らなかったピーターは散々な目に遭い、そのために2度涙を流す絵が登場する。したがって、これがとても印象的な場面になっている。文章はタンタンと流れるが、絵で涙を流すピーターを見るので、それがとても印象的なものになっている。

 そんなこんなで、大人も大変楽しめる絵本です。子どものころにこの話を読み聞かせられてどんな感想を抱いたのだろうか?全く覚えていない。また我が子にもこの話を読み聞かせたのだと思うが、我が子はどんな感想を抱いたのだろうか?今度一度聞いてみよう。でもきっと読み聞かせをさせられたことすら覚えていないと思う。

 

孤独な群衆〈下〉デイビィッド・リースマン 加藤秀俊/訳

2013年2月21日発行

 

巻末のトッド・ギトリンの解説によると、書物は時に世論を左右するだけの影響力をもち、直接的に社会を変えるだけの力をもっていた、1977年のハーバート・ガンスの研究によれば、『孤独な群衆』は発行部数140万部、リースマンはアメリカが生産第一主義の社会から消費中心の社会に変貌したことを主題にした、上層中産階級では年長者から「植え付けられた」目標を内在化させた「内部指向型」人間にかわって「他人からの期待や好みに敏感な」「他人指向型」人間が登場した、内在的な羅針盤によって進路をきめる人間からレーダーによって誘導される人間に変貌した、それはマス・メディアによって掌握されている、という。

 

1964年版への訳者あとがきでは、『孤独な群衆』は、『菊と刀』の到達したところを出発点として大胆な歴史段階説を展開している、著者は3つの性格類型について道徳的価値評価を下そうとせず、プラスマイナスの二面性を持つものとし、またアメリカの多様性を浮かび上がらせている。

 

下巻の特徴の一つは、恐らく、第12章に始まる、「適応か?自律か?」にある。

適応型はこれまで論じて来た大部分の人たちで、このパターンに同調しない人はアノミー型か自律型であるとし、自律型とは全体的にみてその社会の行動面での規範に同調する能力をもちながら、それに同調するかしないかに関しては選択の自由をもっているような人間で、アノミー型とは社会の行動面での規範に同調する能力に欠いているとする。基準は性格構造が社会的規範に従順であるかどうかによって識別されるとする。

 

『孤独な群衆』をめぐる半世紀―改訂訳版へのあとがきでは、本文の末尾を引用する形で締めくくっている。「たったひとつだけわたしが確信していることがある。すなわち、自然の恵みと人間の能力には無限の可能性があり、人間の能力はそれぞれの人間の経験をじぶんじしんの力によって評価できるだけのものをもっているということである。したがって、人間はかならずしも適応型にならないでもすむし、また適応に失敗しないでもすむし、アノミー型にならないでもすむのである。人間はうまれながらにして自由で平等であるが、という考え方はある意味では正しいが、ある意味では誤解をまねくいい方だ。じっさいのところ、人間はそれぞれちがったようにつくられているのである。それなのに、おがたいがおなじようになろうとして社会的な自由と個人的な自立をうしなってしまっているのだ」と。

 

みすず書房のこの本は42版を重ね累計16万冊を超え、新しく「始まりの本」の一冊に加えられた。