世界 2021年3月号 no.942 「原発裁判で明らかになったこと、政府事故調が隠したこと」添田孝史

笑うに、笑えないレポートです。本当に。

結論は、「政府事故調は把握していた事実を隠蔽していた証拠も出てきつつある。事故調のあり方についても、今後検証が必要だろう」とあった。なんのための「政府事故調」なのか?

先日、Hukusima50を観ました。原作が「死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発」で、キャストが豪華(佐藤浩市渡辺謙吉岡秀隆、安田成美)で話題になった作品です。この映画の内容に対しては、‟想定外、自然の脅威、復興”に絡めて偽善的という批判もあるでしょうし、”風化させない、命がけの現場の決死隊に感動的”という肯定意見もあるでしょう。ある意味、私はどちらも正しいと思います。少なくとも、当時の政府や東電本部の対応は正しいとは言えません。いずれにしても、現場の方々の命がけの奮闘によって、そして本当に偶然の結果によって2号機が最悪を免れたという事実も改めて認識させられました。特に、2号機自体の欠陥により圧が下がったとか4号機のプール水が流れ込んだという本当に奇跡的幸運によって、いわば単なる偶然によって本当に東日本が救われた、日本が救われたということを、私自身もあんまり理解していませんでした。今また原発再稼働が議論になっていますが、やはり、それはおかしいように思います。刑事裁判で東電3人が無罪となりましたが、果たして司法はこれでよいのか。

今回のレポートは、冒頭で、民事の高裁レベルで責任肯定と否定で分かれていることに言及しています。常識的には責任を肯定した仙台高裁の方がまともで、否定した東京高裁はどうなんだろうと思います。レポートは、特に1896年に三陸沖で発生した津波地震岩手県で30メートルを超える高さまで遡上し死者2万人をこえており、同じような地震日本海溝のどこでも起きるという予測が、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月31日に発表されていた事実に言及しており、これを読んだら、先のような感想を持つのが自然でしょう。

しかも、東北電力貞観地震(869年)の研究成果を取り入れ、女川原発津波想定を見直す報告書を2008年に完成させていたとのことであり、それを踏まえて、政府事故調保安院から女川に関して250頁以上にもわたる詳細な資料を入手していたのに、今回の政府事故調報告書には女川津波想定に関する記述が今回のレポートで5行程度でしか触れられていないことを明らかにしている(保安院貞観津波を想定しなければならないと判断しており、その保安院の資料を、事故調は入手していたのに、結果的にはそれを隠蔽したと言われても仕方のないような内容になっているということだ)。

 

だから、冒頭の笑うに笑えない結論が出てくる。

 

この国のエネルギー政策の行く末が、本当に心配である。真剣に考えないといけないし、見直さないといけないと思う。