筆者のキーワードを上げていくと、次のようになる。
デイヴィッド・ライアン「監視文化」
ショシャナ・ズボフ「監視資本主義」
自発性と複数性をソフトかつスマートに奪う新たな権力形態を指す。
ユヴァル・ノア・ハラリ「巫女AI」、「ホモ・デウス(神的人間)」へ進化
中国は「幸福な監視社会」、セバスチャン・ハイルマン「デジタルレーニン主義」
データ主義は資本主義的にも共産主義的にも添わり得るが、同時にどちらとも異なる危機を人類にもたらすかもしれない。と。
何となく皆が漠然と抱えている不安をキーワード的な言葉で表現した論考。
新しい時代の過渡期に生きているというのは恐らくほぼ大多数の人が感じている実感だろうと思う。したがって、前提として、そもそも「データ・リテラシー」を確立し、それを確固たるものにせねばならないのではないかと思う。もっとも、その定義の仕方といい、「データ・サイエンス」の分野といい、どんどん新しい分野がひらけていて、ついていけてないのかもしれない、という不安も覚える昨今。
この分野は、大事なので、時間をかけてでも、自分のライフ・ワークにしたいような気がする。