葛飾北斎 世界を驚かせた浮世絵師 芝田勝茂

2016年3月初版 2020年9月第7刷

 

LIFEが1998年に「過去1000年で世界の人々に影響を与えた百人」の中に、日本人からただ一人選ばれた、葛飾北斎印象派の画家に与えた影響、ジャポニズム、マンガの原点など、並べたら確かに世界に大きな影響を与えたことは間違いないですね。

 

勝川春章に弟子入りする際のエピソードとして、春章の線の使い方にしびれるほど関心したと答えた時太郎に春章が「わしが長年苦労してきたのが線だと言い当てるとは末恐ろしいやつ」と言ったらしい。勝川春朗として14年間絵を描いたが狩野派とつき合ったため破門されてしまい、一時期、東洲斎写楽(勝川派の伝統を全て踏襲し、写し楽しんでおちょくっている)として絵を描く(実際ボストン美術館にある北斎の版木の裏が写楽の版木であったことが1987年に発見された)。宗理と名乗った後に「北斎」を使い始める(1797年、38歳)。45歳の時、護国寺で畳120帖の大きな紙に済で大きな達磨大師を描き、江戸の人気者に。11代将軍家斉の前でも花鳥山図を描いたと思ったら鶏の足に朱肉を付けて絵の上を歩かせ、業平の歌を思い出せる、イキなことも平然とやって遂げてしまう。痛快極まりないですね。

馬琴の「説弓張月」に北斎はさし絵を描いて大人気に。最も両雄並び立たずで絶交してしまう。北斎の93回もの引っ越しは有名。片づけが苦手、気分を変えるためと説明されています(ここは確か諸説あったように思いました)。娘のお栄(葛飾応為)も女性浮世絵師に。1814年北斎漫画出版、約3900点。絵の百科事典ともいうべきものが。これをシーボルトがオランダに持ち帰る。1831年72歳で「富嶽三十六景」発表。「凱風快晴」「山下白雨」「神奈川沖浪裏」。武士が絵に登場してこないところに北斎の主張が隠れていると。更に薄墨で「富嶽百景」も出版(75歳)。「70歳前にかいてきた絵は、とるにたりないものばかりだった。73歳になって、やっと、鳥やけもの、虫や魚の骨格とか、草木が生まれて育つようすがわかってきた。きっと、80歳になればもっと進化するだろうし、90歳でものごとの秘密を解きあかし、百歳で技術は神の技となり、百数十歳になったら、わたしのかく点も線も、すべて生きているように見えることだろう」と。90歳で亡くなります。

 

日本が生んだ大天才の一人ですね。間違いなく。