哀愁 1964年東京五輪 三つの物語 マラソン、柔道、体操で交錯した人間ドラマとその後 別府育郎

 2021年6月15日 第1版第1刷発行

 

五輪開会式が行われた1964年10月10日。その5日前に生まれた二人の女の子。一人は聖火台に灯された聖火を間近で見た父親が娘につけた名前「聖子」の橋本聖子。もう一人は13歳で北朝鮮工作員に拉致された横田めぐみさん。63年10月5日生まれの吉田沙保里さんと橋本は横田めぐみさんのことを話し合った。今回の東京五輪までに返してほしいと訴え続けた父滋さんは2020年6月5日亡くなる。橋本聖子が五輪担当相を経て五輪組織委員会の会長として迎えた今回の東京五輪。著者が新聞記者として触れた証言や物語を残すための書のようだ。

 

第1章 円谷幸吉君原健二

2位で国立競技場に入ってきた円谷がトラック第3コーナーで英国選手に抜かれ3位、銅メダル。君原は8位。早々にメキシコ五輪を目指すと発言した円谷だったが、五輪後多忙を極め、体調的にも厳しく、肉体的にも精神的にも追い詰められ、「もう疲れ切って走れません」等の遺書を残し、27歳で自死。君原はメキシコ五輪で2位。円谷と一緒に取った銀メダルと述べる。そんなドラマがあったとは。

 

第2章 神永昭夫と猪熊功

柔道最終日の無差別級で、オランダのヘーシングに敗れた日本のエース神永。翌朝、神永は午前9時には自席について仕事を始める。猪熊は重量級で金メダル。良きライバルだった二人。猪熊は山下泰裕を発掘する。山下の連勝記録203は凄まじい。日本柔道界の歴史を築いた人々が大勢登場する。神永は56歳でガンで亡くなる。猪熊は63歳で東海建設社長室で自死

 

第3章 ベラ・チャスラフスカと遠藤幸雄

個人総合、跳馬平均台で3つの金メダルを獲得した22歳のチャスラフスカ。同じく個人総合優勝した遠藤は平行棒でも金。メキシコ五輪でもチャスラフスカは個人総合、跳馬段違い平行棒、床で4つの金メダル。チェコ出身のチャスラフスカは、ビロード革命を象徴する一人となり、ハヴェル大統領顧問に就く。

 

エピローグで日本サッカーの父・デットマール・クラマーの語録が紹介されている。

「試合終了の笛は、次の試合へのキックオフの笛である」

「サッカーに上達の近道はない。普段の努力だけである」

「サッカーは少年を大人に、大人を紳士に育てる」

東京五輪で強豪アルゼンチンを破った日本代表の選手に対し「君たちには今日、新しい友人が増えるだろう。だが今、友人を必要としているのは敗れた選手なのだ。私はこれからアルゼンチンのロッカールームへ行ってくる」と言って、部屋を出ていく。そして準々決勝でチェコに敗れた日本選手には「君たちがどれだけ努力をしてきたか、私が一番よく知っている。今はサッカーのことを忘れよう。そして今日、君たちのところに来る友人が本当の友達なんだ」

こうした指導者の言葉に支えられ、4年後のメキシコ五輪で日本は銅メダルを獲得。

 

めちゃ、カッコいい。