共生の思想(増補改訂) 未来を生きぬくライフスタイル 黒川紀章

1991年9月30日 改訂第1刷

 

日本的美意識の「侘び」「さび」について従来の簡素、寂しいという一方向的な捉え方に異を唱え、華麗と簡素の両義的美意識、華麗と枯淡の共生の中に美意識から「花数寄」という語を用いる著者。風姿花伝世阿弥が「花」を能の生命とした美意識にも通じる。世阿弥は鬼を演ずるときは心の中に柔らかさをもち、老人を演ずるときは若やいで演技するのがよいという。日本的共生の美意識がここにあると。

このような誤解を生んだ原因の1つは、利休の侘びが秀吉との関係で極端化され「侘び」の解釈を狭く浅くした。第2はブルーノ・タウトらの桂離宮伊勢神宮を近代建築の文脈で評価し、日光東照宮を「将軍の趣味の悪さの代表例」として否定したところにある。同時代の建築物である以上、並置して日本建築全体を俯瞰できるはずなのに。

 

西洋の二項対立、分離主義と二元論で失われたものを含み込み、共生の思想を提唱する著者は鈴木大哲の「即非の論理」を引用する。AとnotAが実は同一であるとして、部分と全体が等価値であり、両者は矛盾のままに自己同一性を失わないとする東洋的な個の世界は西洋のピラミッド型ヒエラルキーは存在しない。それゆえにお互いの聖域を守り、両者の間に設定する共通項「中間領域」を設定する。

(これなんかは尖閣諸島問題で日中が激しく対立し合っている現代社会においても通用する考え方のように思う)

 

著者は江戸時代の再評価を提唱し、文化の大衆性、高密度居住が生んだ微妙な感受性と雑居性、虚構性の文化や、細密なディテールに対するこだわり、からくりの思想、建築における混在様式の成立、部分と全体の共生についても論を進める。

 

西洋にも両義性の建築家たちが現れ、砂漠の実験都市の設計計画に携わったことに触れた後、「東洋に広場がなく、西洋には道がない」という議論を巻き起こした著者(1965年)。

 

著者は竜樹の「中庸」で「空」の思想の原点が示され、『解深密教』に善悪二元論に解消されない中間領域があることを指摘し、ここに二元論を乗り越える鍵があるとする。

 

日本家屋の特徴の一つとして、著者は開放性を上げる。縁側を中間領域として庭と連続する開放性が得られ、視覚的連続性、聴覚的連続性があるとする。これに対し、ヨーロッパは自然と人間とを対立するものと捉える二元論思想があり、自然は征服するものであるため、庭園も理想化された自然である(自然を征服し手なづけたことの象徴)とする。

 

著者はシングルコードの近代主義に対し、建築評論家チャールズ・ジェンクス『ポストモダンの建築言語』の中でポストモダンについての6つの定義を引用する。①「1つの建築が人々に対して少なくとも2つのレベルで語りかけてくるような建築」、②「ハイブリッドな建築」、③「意識された精神分裂症をもっているもの」、④「言語をもった建築」、⑤「メタファ(暗喩)が豊かで、新しく、排他的であるよりも包括的であること」、⑥「都市の多元性に呼応するものであること」。

そして著者なりに読み替える。①工業化社会から情報化社会への転換期を背景に成立、②ライフスタイルの私小説化、私生活化、③中心なき時代、④二元論または二項対立の消滅、⑤快楽(コンビビリアリティ)をもつ、⑥世界の相対化と折衷様式の評価、⑦全体性のイデーが崩壊し、部分と全体が共生したもの、⑧物的要素と精神的要素の共生、⑨従来、境界と考えられていた部分に、中間領域としての曖昧性を発見できること。

 

最終章で、著者は近代建築が近代主義の認識に深く根差しており、ポスト近代の建築が存在論、意味論、意味生成への創造的方法論を必要としているとすれば、近代建築の設計方法にどのような転換を迫るものかと問いを立てる。

結論として個々の多様な意志の表明によるとし、著者自身は「西欧中心主義とロゴス(理性)中心主義の変換」が自らの意志の表明であるとする。そして共生の思想という著者個人の意思の表明へと深化させている。共生の思想の基本的内容としては、異質な文化の共生、人間と技術の共生、内部と外部の共生、部分と全体の共生、歴史と未来の共生、理性と感性の共生、宗教と科学の共生、人間(建築)と自然の共生を上げる。

 

そして最後の「エピローグ」で著者は中村元教授の『東洋人の思惟方法』に目を開かされたと明かす。

 

全体で396頁もの大著ですが、かなり読み応えのある書物でした。