戦争と平和 トルストイ  中村白葉・伊藤佐喜雄訳

1967 年 1 月初版発行 1985 年 1 月第 23 刷発行
 

 青年貴族アンドレイが、ロストフ伯爵の娘ナターシャを結婚相手に決めるものの、父の反対にあって 1 年待つことに。その間、アンドレイは自分の代わりに何かあったら親友ピエールに相談するようにと。ところが、ナターシャは、女たらしの若者アナトリイに誘惑されて駆け落ち寸前に。ところがアナトリイが妻帯者と知ってナターシャはアンドレイとの結婚を諦める。その一方で、ナポレオン率いるフランス軍は、東ドイツからポーランドに進行し、いよいよロシアの国境を越えて、ロシアと戦争状態に突入する。アンドレイはナポレオンとの戦争が開始されたとの報道を耳にするや、かつての上司クトーゾフ将軍に本国への戦線に回してほしいと願い出る。
 1812 年 9 月 7 日、ロシア軍とフランス軍との間でボロジーノ大会戦が行われる。その前日、アンドレイと親友ピエールとの会話が印象的だ。アンドレイが「あすの戦争は、われわれの力によってきまるので、決して総司令部の連中の力によってではないと、ぼくはかたく信じている。そしてまた、戦争の勝利というものは、陣地や武器や兵力だけで得られるわけでもないさ」というと、ピエールは「じゃ、何によって得られるんですか?」と尋ねる。するとアンドレイは「それはもちろん、ぼくの部下の将校たちや兵士たちのひとりびとりがいだいている、決意によってだよ」「勝とうと決意した者が、たたかいには勝つ」と。結果はナポレオン率いるフランス軍が勝利をおさめ、ナポレオンはモスクワを一瞥できる丘に登る。この戦争でアンドレイは負傷し、亡くなる直前にナターシャが見舞いに訪れ、そして死んでいく。死ぬ直前、アンドレイは、肉体的には良くなってきていたが、精神的には生きているのか死んでいるのか分からない状態となり、(死はめざめなのだ)との精神の発作と見たナターシャに見守られる中で、「はじめて愛と人生のよろこびに目ざめた人間として、死んでいった」。ところで、この表現は、極めて意味深長のように思う。
 クレムリン宮殿に収まったナポレオンは、①略奪をやめさせ、②将兵の冬服を整え、③モスクワ市内の食糧管理をすべきだったのにしなかった。しかもクラースノエの戦闘でロシア軍が完全勝利をおさめ、これにより、ナポレオンは、モスクワについで、惨めな終止符を打たれ、自身の運命も転落していった。
 フランスの捕虜となったピエールだったが、このころには、思想や教理にたいする信仰に生きるのではなく、「神」にたいする信仰に生きるようになった。これも極めて意味深長だ。このピエールは、最終章で、戦争で 200 万ルーブルを失ったが、本人は反対に金持ちになったと真面目な顔で話をし、それが何かと言えば、「自分がかち得たものは何かというと、・・・それは『自由』ってやつなんですよ」と答える。これも意味深長だ。
 最後は、ナターシャは、アンドレイの親友ピエールと結婚し幸福な人生を送り、ナターシャの兄ニコライは、アンドレイの妹マーリャと結婚し堅実な家庭を築く。ここに平和が訪れる、という意味であろうか?そのことの表れであろうか、マーリャの「たましいは、たえず無限なもの、永遠なもの、完全なものをめざして、近づいて行こうとするので、そのけだかい苦しみが顔や表情にあらわれ、一種の美しさを生み出していた。キリストがすべての人類を愛したように、彼女は、自分の夫を、自分の子どもたちを、ニコールシカを、そして隣人たちを愛したいと、心にかたく誓うのだった」との一節は、おそらくトルストイの一番言いたいことだったんではないだろうか?最後に、ピエールはナターシャに「善をこころざす者は、手をつないで実行の組織をつくれーと」といい、更に「悪をなす人間どもがむすびついて、強大な力をもつなら、善をこころざす人間も、手をつないで、それに対抗しなければならない。これが、ぼくの報恩のすべてだ。実に簡単じゃないか」という。