知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人 金治直美

2016年6月7日第1版第1刷発行

 

アイヌには村長というまとめ役はいるが、和人社会のような支配者階級はない。アイヌの村落は平和で平等な社会。そんなアイヌが和人と戦わざるを得なかったのは過去に3回。1457年コシャマインの戦い、1669年シャクシャインの戦い、1789年クナシリ・メナシの戦い。和人がいずれも勝利する。明治になると、アイヌへの迫害は一層ひどくなる。

アイヌ文化振興法が制定されたのは1997年。それと同時に旧土人保護法が廃止。この法律が制定されたのが1899年なので100年近く法的にも差別し続けていた。アイヌ語を研究していた金田一京助(36歳)が1882年に知里と出会い、以降、アイヌ語をローマ字で残し、日本語に訳した書籍を知里と一緒に制作する。アイヌ語は文字を持たず口語伝承の文化。『炉辺叢書』(柳田國男)のシリーズの一つ『アイヌ神謡集』『アイヌ俚談集』として出版にこぎつけるための努力が続けられる。知里は婚約者・曾太郎を旭川に残し、上京して、『神謡集』完成のために京助先生の書生として住み込み、全力を傾けるが、生来の心臓の病(僧帽弁狭窄症)のため、19歳で『神謡集』出版直前に亡くなる。金田一京助は、アイヌ語の研究に没頭し、『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』、全9巻の『アイヌ叙事詩ユーカラ集』を発刊。知里の弟の高央は『アイヌ語彙辞典』を編纂、下の弟の真志保は金田一京助の援助により東京帝国大学で学び、後に北大の言語学教授としてアイヌ語の辞典やユカㇻの筆録等の成果を収める

日本がアイヌを差別し「土人」と公式に呼び、アイヌ語を奪おうとした歴史があるという事実すら知らなかった。無知は恐ろしい。深く反省させられた一書でした。