昭和40年7月5日初版発行 昭和52年9月10日10刷発行
巻末の編者解説によると、佐藤春夫が詩人として認められたのは「殉情詩集」が出てからである、これが命がけの恋の世界を歌ったこと、恩人でもあり親友でもあった谷崎潤一郎夫人の妻を恋した、それをうたい上げる心はじつに清らかで純粋でひたむきであり時々少年少女のように可憐でさえある、表現も細部に心を配って前後の照応をよく考え、最も適切な用語を適切な場所に宝石のようにちりばめ名工がよく磨きに磨いた宝石ぞろい。ハイネ、ダンテ、ポーに学び、聖書やファウストなどをもとに、それらにすがって、その上にもう一つの詩的世界を築きあげた。
殉情詩集
また或るとき人に与へて
しんじつふかき恋あらば
わかれのこころな忘れそ、
おつるなみだはただ秘めよ、
ほのかなるこそ吐息なれ、
数ならぬ身といふなかれ、
ひるはひるゆゑわするとも
ねざめの夜半におもへかし。
佐藤春夫詩集
夕づつを見て
きよく
かがやかに
たかく
ただひとりに
なんぢ
星のごとく。
むつごと
紅おしろいのにほふのみ
色も香もなきわれながら
願ひ見すてぬ神ありて
わが身を君に逢わせつる