城の崎にて 志賀直哉(ちくま日本文学021)

2008年8月10日第1刷発行

 

冒頭は恐らく作者の実体験の電車事故で急死に一生を得る経験をする。初めて死というものを考えたようだ。次にある朝玄関の屋根で死んでいる蜂の死骸を発見する。周りには忙しく動き回る蜂との対比。忙しくなく生きている蜂と静かな死を迎えた蜂との対比で、一層死というものに向き合う姿が描き出されている。ところが次のネズミの死の描き方は残酷だ。魚串が貫通して川から這い出ようと這い上がれずゆくゆくは間違いなく死んでいくネズミ。それを周りの人間が笑いながら石を投げて当てようとする。そばのアヒルは無関心。なんとしても生きようともがくネズミとそれを笑う人間に無関心のアヒル。生きているうちは何とかして生きようともがき苦しみ、死の直前には死の苦しみを味わう生き物の宿命。それは本人だけの問題であって周りには本質的には関係がないということを浮かび上がらせている。最後にいもりの死の場面が描かれる。イモリに当てるつもりで投げた石ではなかったが偶然イモリにぶつかり死んでしまった。死は偶然にやってくる。「静かな死」「もがき苦しむ死」「偶然の死」を描くことで、生と死を対比させる作者。生きている自分ともしかしたら死んでしまっていたかもしれない自分。この二つは「それほどには差はないような気がした」と書いているが、「脊椎カリエスになるだけは助かった」のだから、生きる喜びを感じているようにも思う。それにしてもこんなに大変短い小説の中で「死」というものを鮮やかに描き出す志賀直哉はやはり“小説の神様”だと思う。新書「小泉信三」の中で皇太子と一緒に読んだという本の中に入っていたので早速読んでみたが、これをどのように読み解こうとしたのか少々気になるところだ。