超絶技巧の西洋美術史 池上英浩 青野尚子

帯封「これぞ、巨匠のわざ。金を使わない『金』の表現、光を透過する一粒の涙、今にも動き出しそうな生命感-高画質のフルカラー図版で類まれな技巧の数々に迫る!」「だまし絵から遠近法、大理石彫刻まで、西洋美術史を彩る名作を生んだ超絶技巧が満載! 

ファン・エイク《ヘントの祭壇画》

ホルバイン(子)《大使たち》

カラヴァッジョ《果物籃》

ウォーターハウス《シャロットの女》

ラファエッロ《アテネの学堂》

フェルメール《絵画芸術》

ブロンズィーノ《愛の寓意》

ブグロー《ヴィーナスの誕生

レンブラント《十字架降下》

ブリューゲル1世《バベルの塔

デューラー《野うさぎ》

ベラスケス《ラス・メニーナス》ほか」

 

表紙裏「彼らの超絶技巧によって絵画の中には新しい世界が立ち現れる。それはときに現実には見ることのできない理想の世界であり、あるいは見ることを躊躇してしまうほどに恐ろしいものだ。『おわりに』より」

 

本書の構成は、

 超絶技巧の巨匠たち、として、ヤン・ファン・エイク、ハンス・ホルバイン(子)、ジョバンニ・ベッリーニ、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル

 Ⅰ静物画、としてミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《果物籃》、ピーテル・クラース《ヴァニタスのある静物

 Ⅱ細密描写として、アントネッロ・ダ・メッシーナ《書斎の聖ヒエロニムス》、フィリピ―ノ・リッピ《カラファ礼拝堂祭壇壁画》、ダフィット・テニールス(子)《レオポルト・ヴィルヘルム大公の画廊》、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス《シャロットの女》

 Ⅲ特殊技巧として、レオナルド・ダ・ヴィンチ《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》、カルロ・クリヴェッリ《聖エミディウスを伴う受胎告知》、ラファエッロ・サンツィオ《アテネの学堂》、ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》

 Ⅳ遠近法として、アンドレア・ポッツォ《聖イグナチオ・デ・ロヨラの栄光(イエズス会の伝道の寓意)》、超絶技巧の遠近法画家たち(ジョット・ディ・ボンド―、マザッチョ、バオロ・ウッチェロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ピーテル・ヤンス・サーンレダム)

 Ⅴ人体表現として、ブロンズィーノ《愛の寓意》、ジャン=レオン・ジェロームピュグマリオンとガラテア》、ウィリアム=アドルフ・ブグロー《ヴィーナスの誕生

 Ⅵ明暗対比として、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《常夜灯のあるマグダラのマリア》、レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《十字架降下》

 Ⅶ風景画として、ピーテル・ブリューゲル1世《バベルの塔》、カナレット《モーロ、ヴェネツィア、サン・マルコ運河からの眺め》、超絶技巧の風景画家たち(アルブレヒト・アルトドルファー、カスバ―・ダーヴィト・フリードリヒ、アルノルト・ベックリン

 Ⅷ布と毛として、アルブレヒト・デューラー《野うさぎ》、カレル・ファブリティウス《ゴシキヒワ》

 Ⅸ速書きとして、ポオロ・ヴェロネーゼ《カナの婚礼》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとオルガン奏者》、ディエゴ・ベラスケスラス・メニーナス》、ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《雨、蒸気、スピードーグレート・ウェスタン鉄道》

を挙げ、随所にコラムをちりばめている(9点①だまし絵②ランブール兄弟③大理石④インタルシオ⑤死の表現⑥老いの表現⑦想像上の生き物⑧版画⑨失われた超絶技巧)。

いずれもフルカラー図版入りなので、言葉で本書の内容を表現するのは難しい。

 

以下、私がとりわけ感動した図版だけを列記する。

全ては本書を実際に手に取り直接作品を見て頂く以外にこの感動を伝える術はないと思われる。

 

もっとも印象的だったのは、ジェロームの《ピュグマリオンとガラテア》(メトロポリタン美術館)だ。「ガラテアが人間に変身するまさにその瞬間、硬質な大理石の冷たさと血の通った肉体の温もりが同時に伝わる」、特に「石材から人肌へと変わる腿の表現」は圧巻だ。人間の女性に失望したピュグマリオンが自ら彫った女性の彫像を愛してしまうストーリーをモチーフにしたこの作品は、更に拡大図が掲載されていて「冷たい大理石(伝説では象牙)の硬さを残した膝から、徐々に柔らかさと温かさを持つ臀部への微妙な移り変わり。ピュグマリオンのごつごつした手指と、ガラテアの肌の弾力との対比も見逃せない」と解説が付されている。この一作品をじっーと見ているだけで至福な一時が得られる。

ヤン・ファン・エイクの《ティッセンの受胎告知》は、まるで「ニッチ(壁龕)の中に彫像が立っているかのような」素晴らしいだまし絵だ。

ウォーターハウスの《シャロットの女》は、イギリス詩人テニスンの詩から採ったものらしいのだが、死出の旅に出たシャロットが泣きはらした目を観る者に向け、右手で錠の鎖を上げる構図は、自らの解放と同時にあの世へと人を運ぶことを想像させる。

ブグローの《ヴィーナスの誕生》は究極の女性の美しさを表現した作品だ。この作品を見て文化圏も人種も時代も異なる日本人の多くが美しいと感じるのは「フランスの美術アカデミーで規定された女性裸体美の基準が今日まで支配的なためであり、現代日本も文化的にはその影響下にあるからである」と解説されていたが、そんなもんなのだろうか?美しいと感じるのは直感であって美の基準に合致しているとの背景があるからと言われても、この部分だけはちょっとすぐにはそうなのかなと思ってしまう。

ブリューゲル1世の《バベルの塔》は有名だが、それぞれ5つのパーツに分けて拡大図を掲載し、それを個別に解説してくれているので大変勉強になった。

最後の頁はフェルメールの《牛乳を注ぐ女》が拡大されて、「おわりに」の文章の背景に掲載されている。最近テレビCMでこの作品をふざけたような感じでパロディ的に利用されているが、この作品をアップで見直すと、素晴らしい作品なのに、それを冒涜しているんじゃないかと感じる。