続・神さまがくれた漢字たち 古代の音 山本史也

2008年7月25日初版第1刷発行

 

帯封「文化勲章受章、故・白川静氏監修の前作に続く、第二弾! 圧倒的な支持を得た前作での、漢字の「かたち」の成立過程の神秘をふまえ、今回新たに、ことばを生み出す母胎としての『音』の謎に鋭く迫る! 漢字のなかに本来ひそむ、人間の、自然との豊かなかかわりと、あきれるほどの深い知恵から、現代のわれわれは何を学ぶべきか? 小中学校でも開示されはじめた、漢字の真実! みのもんた氏も『おもいッきりイイ‼テレビ』で驚嘆! 白川静の、最も正統的な継承」

 

第1章 ことばと世界の誕生

第2章 「音」の正体

第3章 日本の「おと」

第4章 中国の「おと」

第5章 「歌」と「うた」

 

・『設文解字』の著者・許慎は「言」について「直言を言と謂ひ、論難を語と謂ふ」(巻3上)と解するが、本書の著者は、「言」の字形から、神明に賭けて誓う、その誓言を示す字であることは疑いを容れないという。ことばは心霊の所有するものであったことを古事記は示唆しており、「言ふ」べきこと、「語る」べきこと、「話す」べきこと、「告ぐ」べきことであり、行為すれ自体であり、機能それ自体であるはずであるという。

・「耳」のとらえるものは神の声である、声は聲と記していた。「みみ」は「こゑ」と「おと」を感受する器官で、「こゑ」は主として口から発せられる声であり、「おと」は主として物が触れて起こる音であるらしく思われる。

・「わらふ」には「咲」の字を当てるのがならい(古事記)、万葉集は「泣く」を「哭」と呼応する語として用いた、もっとも声なき慟哭でもなければしのび泣きの類でもなく、声を高く挙げて泣くことをいう。清少納言の『枕草子』の時代になると、神と人との境界を自在に往き通った古代の事は既に響かず、音の古代の終焉が告げられる、という。

・中国の「歌」はその始原において神を脅迫する歌として抵抗詩を基幹として展開するものであるのに対し、日本の「うた」はむしろ対象を癒し対象を慰める「うた」として生まれた。中国の「歌」の展開と、日本の「うた」の展開が、異なる相貌を示すのはそれぞれの展開がその始原に内在する独自の属性をまざまざと反映するからにほかならない。

 

この「よりみちパンセ」シリーズは、中学生以上を対象にする本だということだが、結構、難しい本だと思う。