冬の鷹《上》 吉村昭

1996年12月20日発行

 

前半は中津藩医前野良澤が長崎でターヘル・アナトミアを買い付けるまでの苦労を中心に描かれている。オランダ語を学ぶために100日という期間限定で長崎に遊学した良澤だったが、その程度の時日でオランダ語を習得することなど不可能、長崎では驚くだけで後は江戸に帰ってから学べばよいとの大通詞の吉雄幸左衛門からのアドバイスを信じ、江戸に帰ってから学ぶ辞書や医学書を幸左衛門から勧められて買い求めた。杉田玄白は早々にオランダ語を習得することは不可能と、大通詞西善三郎から良澤と共に言われて、オランダ語習得を断念したのと好対照に描かれている。

後半は、刑死人の腑分け場面に立ちあった玄白と良澤がターヘル・アナトミアに描かれた臓器一つ一つが実際の人体の臓器とそっくりであり、骨の形態も実際の骨とターヘル・アナトミアに描かれた解剖図に描かれた骨格図と完全に一致していたこと、そして玄白と良澤が協力してこれを翻訳しようと決意し合う場面を中心に描かれている。まずは場面は、江戸に帰った良澤の下に玄白から刑死人の腑分けがなされる骨ヶ原刑場に来るとよいとの書簡が届き、ターヘル・アナトミアを抱えて早速刑場に向かうと、玄白もターヘル・アナトミアを持参して互いに驚き合ったところから始まる。玄白と良澤が翻訳を決意した場には玄白と同じ小浜藩医の中川淳庵もいたことや、翻訳を決意した玄白に対し良澤は、玄白が興奮のあまりに翻訳を思い立ったものの、その難事業に取り組む根気が本当に玄白にあるとは思えず次第に不安になったいった心情や翌日玄白と淳庵が良澤宅を訪ねて生命を賭しても翻訳という難事業に取り組む決意を聞いて素直に受け入れて彼等と翻訳事業に取り組む決意を固めた良澤の心情などが綴られている。時に良澤49歳、玄白39歳、淳庵33歳だった。途中で幕府の医官桂川甫三の子息甫周も加わり、4人で翻訳作業に当たった。しかしターヘル・アナトミアを開き、横文字を見ても、さっぱり解読できぬ日々が続いた。数日して玄白が図とAが指し示す関係の説明があるのでは?とのアイデアを示すが、Aの説明をしているようにも見えない。反対に説明文の最後に記号AがありそれがHooftという文字が印刷されているのを発見して、Hooftが頭であることを知っていた良澤らはようやくA=Hooft=頭であることを理解した。この要領で頭、鼻、胸、腹、臍、掌の語を知った。しかしそれでは意味がない。玄白は分からぬ語はやり過ごしてそのうちにああそうかと納得できることもあるだろうと言い、oppefteの語を仏蘭辞典で調べる。そのうちにこれが最も上という意味であることに思い当たり、仏蘭辞典が有力な武器になることを知った。彼等は大文字の説明文のみの解明を目指し、小文字の詳細な解説は諦めた。このころ平賀源内は長崎でオランダ語研究のために遊学し、玄白や淳庵とは親交を深めていた。淳庵が玄白に源内も翻訳作業に加わってもらおうと言うと玄白は反対する。理由は源内のオランダ語の知識が信用できない、根気とは縁のない性格で到底1年半でオランダ語が習得できたとは思えないと。一方で源内は田沼意次に通じており翻訳の暁に出版に漕ぎ着けるには源内を敵に回すことは得策ではない、そこで源内とどういう関係を築くか頭を悩ませていた。分からぬ文字に印をつけて先に進んではどうかと玄白が言うと、良澤がそれを受け入れる。玄白は更に不明な箇所は長崎から江戸に訪れたオランダ通詞に聞いてみてはと促すと、これも良澤は受け入れた。