夜明けの辻 山本周五郎

昭和57年7月25日発行 昭和59年5月10日2刷

 

尊王論者の山県大弐の講演を聞いた小幡藩の功刀(くぬぎ)伊兵衛は、“大弐は殺される”と来栖道之進に語った。理由を問われ、伊兵衛は「言葉は人間が拵えたものだ。どうにでも取繕ったりごまかしたりすることができる…しかし言葉の裏にある本心はごまかせない。拙者は大弐の説がなにを暗示しているか見抜いているんだ」と答えた。藩士は大弐に襲い掛かったが、傍の盲無念といわれた東寿に次々と殺されていった。伊兵衛は大弐を追い駆けて直接話を聞くと、自らの考えを改めて大弐を殺すべきではないと思い至った。ところが大弐を斬り殺そうと次々と藩士が襲い掛かるため伊兵衛は大弐を逃がすために自ら楯となる。「山県どのを乱心と見たのは拙者の誤りだ。小幡一藩の興廃から見たらあるいは禍根となる人かも知れない。しかしそれは山県どのの乱心であるためではない。おれはいまそれを説明することができない。おれ自身がもっとよく知りたいんだ」と説得しても、周りは聞く耳を持たない。やむなく伊兵衛は「おれはいま小幡藩士の功刀伊兵衛ではない。もっと大きな、武士が武士として踏むべき道に立っているんだ。一人もここを通さんぞ」と言い放って周囲の藩士と斬り結んだ。国家老津田頼母ならばわかってくれると思い密かに頼母を訪ねた伊兵衛だったが、頼母から裏切者が出たことによって全ての風向きが変わってしまったことを聞かされる。裏切者とは己の立身出世のために大弐に取り入った後、大弐を幕府に売った道之進だった。本音と本音でぶつかり合う二人。伊兵衛は大弐を許し、母と妹に別れを告げて山県を護る道を進む。その直後、心を入れ替えた道之進が妹に本当の事を告げて伊兵衛を追い掛ける。

 

幕府と朝廷という二重権力がいつの間にか武士の眼を曇らせる。藩や幕府と朝廷が相対立したときにどちらに忠を尽くすのが真の武士の姿であるべきなのか。自明であるものの、周囲が盲目になっていれば、その信念を貫き通すことは筆舌に尽くし難い困難を伴う。しかし人としてどう生きるべきかという信念さえぶれなければまっしぐらに突き進むことができる。筆者は筆を通してor自らの生き方を通してそれを読者に伝えようとしている。