他力《上》 五木寛之

2014年12月10日発行

 

・一般的な他力本願で言われているところの「他力」とは違うことを言わんとしているような気がするが、「他力」という言葉が連想するのは、やはりどうしても“他力本願”のようなものなので、著者が言わんとしていることが必ずしも読者に正しく伝わっているのだろうか?という疑問を持った。

・例えば、「〈天命〉を〈他力〉の意味に受け止めるのです。死にもの狂いで人事をつくそうと決意し、それをやりとげる。それこそ〈他力〉の後押しがなければできないことです。そう考えれば、自分が〈自力〉にこだわるのが滑稽にさえ思えてきたのでした」という箇所があるが、ここでいう「自力」と「他力」は対比するものではないではないかと思う。次元の違うことを比較しているような気がしてならない。

 

・また「神であれ、仏であれ、また、キリスト教であれ、ヒンドゥー教であれ、イスラム教であれ、道鏡儒教であれ、各地の先住民たちの国有の宗教であれ、自然崇拝であれ、あらゆる目に見えないものへの交感は、すべて根本のところでこの〈他力〉へのひそかな共鳴がひそんでいます。それを〈宗教〉と言うか、〈精神文化〉と呼ぶか、人によって受けとめかたは異なっても、なにかそのようなものを背後に自覚しない社会は、透明で希薄です。〈市場原理〉や〈自己責任〉といった露骨な言葉の背後にも、〈見えざる神の御手〉と〈個人と神の契約〉の影がさしている。それなくしては個人のアイデンティティさえも見出すことは難しい・・いま、大乱世ともいうべき時代を前にして、あらためてそのことを考えてみる風潮がきざしてきています。それこそ、まさに〈他力の風〉が吹きはじめた、という気がするのです。私のこの雑駁で場当たり的な文章を読んでくださったということも、〈他力〉の一つの線と受けとっていただけたら、とひそかに思うのです」の箇所も、「他力」と言う言葉ではなく、別の言葉で言い表せるのではないか。

・「他力とは、眼に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えているという考え方なのです」「他力とは言葉を替えると、目に見えない大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが見えない風のように流れていると感じるのです」という箇所も同様。

 

・「キレるというのは、物語をつくる想像力が切れるということです」「歓びを感じ、生き生きと笑ったりすることと同じように、人間が本当に悲しんだり、涙を流したりすることも免疫系の細胞の働きを活性化することが最近の科学で立証されてきた」など、ハッとさせられる言葉・視点を持つ著者だけに、「他力」以外の言葉を紡いでほしいと思う。