自由論 ジョン・スチュアー・トル 北野希織

2019年10月9日第1刷発行

 

目次

プロローグ~出会い~

第1章 自由の原理

第2章 思想と言論の自由

第3章 半真理と自発性

第4章 幸福の要素としての個性

第5章 個人に対する社会の権威の限界

第6章 原理の適用

エピローグ~個性あふれる未来へ~

 

「理想的な社会を築くには、個性と多様性を認める必要がある。J.S.ミルの名著『自由論』を完全まんが化。孤児と学者先生のハートフルストーリーに仕上げました」とあるが、『自由論』を分かりやすく、しかも単なる理論に終わらせずに、生きた人間(若者)がミルの思想に触れて人間的な成長をしていく過程を織り交ぜながらストーリー化した、とても素晴らしい作品に仕上がっています!

 

著者が最も言いたいこと(その1)

 人は他人を害しない限り自由である

 相手の同意なしに力を使っていいのは相手いがいの他の人が被害を被る場合だけである。

 自分自身に加えられる力が正しいかどうかを決められるのは本人以外にない。

 感情や慣習で個人を抑圧することは不当である。

 

著者が最も言いたいこと(その2)

 人間には自分だけの自由な領域がある。それには3つの大切なことがある。

 他人の幸福を奪ったり妨害しない限り自分自身の幸福を自分なりの方法で追求する自由がある。

 第1に、ものを考える自由、感じる自由。それを話したり出版する自由。

 第2に、好き嫌いの自由、自分の性格に合った人生を選ぶ自由。間違っている、変わっていると言われようが、人に迷惑をかけない限り邪魔されず行動できる自由。

 第3に、団結の自由。個人同士が迷惑をかけない限り、どのような目的のためにでも団結する自由がある。

 

著者の主張(その3)

人間はみな間違う。いろんな意見をだして議論したほうがいい結論が出る。

思想と信条は自由であるほうがよい。①封じられている意見が正しいかもしれない②間違った意見にも正しい部分があるかもしれない③当たり前の意見についても議論されなくなるとその意見は偏見と変わらない非合理なものとなってしまう④自由な議論のない社会では人間の主義主張性格信条すべてが育たず人間が成長できない、という4つの理由から。

 

自分の責任でやっていることを変かどうかは自分が決めていい。

自分が主体的に選んだ行動はかけがえのないものである。それこそが個性である。

 

人間が至高の善なる神によって作られたのだとしたらどうして神は我々に種々の能力を授けたのだろうか。神が人間に与えた能力は枯れ果ててもいいと神はお考えだろうか。いやそんなはずはない。能力を開花させること、理想的な人間に近づいていくことこそが神のおも示しのはずである。

 

人間はみなそれぞれ違っている。他人の権利や利益を損わない範囲でのびのび育ち成長するとき人は幸福である。人間が一生をかけて磨くべきもの、それは個性である。“変わった人”がたくさんいることは社会にとって大変な強みである。多様性こそが幸せをつかむ鍵である。

 

他人のためや何かに夢中になっているとき副産物のように幸福は訪れる、というのが私の持論だが、君には君だけの幸福追求の方法がある。

 

私は自著『自由論』の冒頭にフンボルトの言葉を示そうと思う。様々な人間が個性豊かであることはとても大切なこと。私はこれからも私のするべきことをやっていく。君の活躍を命の限り死してなお見守っていく。多様性の大切さを言うべきとは今、今が、今こそその時なんだと。

 

いずれも北野氏がミルの思想を言葉に紡いだ作品で埋め尽くされています。未読の方は是非味わってほしい作品です。