十一番目の志士 司馬遼太郎

2015年6月10日発行

 

ネット情報によると、主人公の天堂晋助は架空の人物で作者により生み出されたオリジナルキャラクターらしい。読んでいると、周囲には高杉晋作を始め、史実に名を遺している人物が大勢登場するため、うっかりすると、実在の人物だと思ってしまう。が、そうではないらしい。まあ、そういう前提で読んでも、読み応えがあり、面白い。天堂晋助は、村厄介の、百姓ですらない身分で、宮本武蔵の養子伊織から直伝といわれる二天一流の兵法を代々相伝した剣術の達人で、その腕を高杉晋作に見込まれて長州藩藩士となり奇兵隊に入隊し、奇兵隊入隊第1号となる。教法寺事件で騒動を起こし、晋助は、晋作から讃岐の大博徒日柳燕石(くさなぎえんせき)のところに行けと命じられ、すっかり気に入られて大阪の藩邸で育親の桂小五郎と出会い、京にのぼる。七卿落ち後、桂が京を離れる時に、晋助のみ、たった一人の長州藩として残される。蛤御門で玄瑞が死に、ひょんなことから贋金作りの娘お咲に婿入りし、佐藤雅楽という名で東洞院の屋敷の雑掌となった。新撰組による浮浪狩りが続く中、晋助も狙われ、幕閣の小栗上野介暗殺を依頼され江戸へ旅立つ。反対に小栗は京都に向かったため、再び上方まで戻ってきた晋助は、大坂の薩摩屋敷にいた。晋助は勝に会い、龍馬にも会った。その頃、長州藩では晋作らのクーデターが成功した。晋助を付け狙っていた菊絵はいつしか晋助に篭絡された。晋助は、大坂で奇兵隊総督の赤根武人と会い、赤根から先斗町で会おうと言われて言うとおりにすると、新選組土方歳三がいた。赤根は長州藩を裏切り間諜になっていた。土方は赤根を買いかぶり過ぎていた。晋助は新選組隊士を斬り伏せて出ていった。その後、晋助は長州を訪れ、伊藤博文と会った。龍馬が薩長の手を握らせる中、晋助は近藤らを錦帯橋に案内し、それ以上長州に進むのに立ちふさがった。赤根が柱島に潜伏していることを突き止めた晋助は赤根を山口まで同道した。結局、赤根は捕縛され、晋作は晋助に斬罪させた。幕府の長州征伐が始まると、晋助や晋作らを乗せた丙寅丸は出航し、幕艦に奇襲をかけて遁げた。小栗狙撃の為に江戸へ下る予定の晋助だったが、晋作が肺牢癆で重体となり息絶えた。山県はおのうを尼にした。晋助はおのうが自分に似ていると嗤いたくなった。

 

あとがきで、長州の行動的攘夷主義が世を変え、時勢の方が奇兵隊的現象より迅く、かれらはそれに乗って対幕戦に勝ち、戊辰戦争にも勝って、疾風のように時が過ぎた。思想を生み落とすいとまがなかった。晋助はそういう不燃焼ガスのなかにいた。似たような生い立ちの伊藤俊輔伊藤博文になったことに比べると、晋助はつねに草の中にいた。時勢に乗るよりも人間に執着したためとしか思えない、と述べている。