昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷
①お祖母さんが三人
②学習院時代
③文章にはげむ
④トルストイの影響
⑤文学のため帝大退学
⑥「白樺」を創刊
⑦文士に安住できず
⑧「新しき村」建設
⑨「村」をはなれて
⑩一つ一つの夢実現へ
・明治18年5月12日生まれ。公卿出で、女中は3人、書生は2人使っていた。もっとも倹約な生活はしていた。2歳5か月の時に父が死に、父のことは記憶に残ってない。。祖母さんと呼ばれる女性が3人いた。学習院卒業後に帝大に入ったが、1年程で大学はやめた。尊敬する気になれる人がいなかったからだった。トルストイに夢中になったのは19から2,3年だった。他人を不幸にしない生活が平和の第一条件だということは忘れることができず、以来、この1点から人生観、社会観は成り立った。それで文学の仕事をする気になった。志賀直哉らと「白樺」という雑誌を出し、ゴッホを日本に初めて紹介した。ロダンに手紙を出し、浮世絵とデッサンを交換したいと言われたのに喜んだ。新しき村の生活を始め、41歳からは母の病気が原因で村を出て在外会員に変わったが、分からない人に分かってもらおうと思わなかった。油画にも夢中になった。43歳で母を失い、終戦後9月に秋田から東京に戻った。勅撰の貴族院議員にさせられたので追放された。雑誌「心」を出し、追放がとけ、文化勲章を頂き、本も売れるようになった。(昭和51年4月9日死去)