アイリスオーヤマの経営理念 私の履歴書 大山健太郎

2016年12月7日1版1刷

 

帯封「挑戦に終わりはない。波瀾万丈の経営者人生で磨き抜かれた『実践理論』、その神髄を熱く語る!」

 

目次

第1部 私の履歴書

第2部 私の経営理念

第3部 社員へのメッセージ

 

・祖父趙性璣は韓国出身で漢方医として来日。父はブロー成形の機械を中古で調達し下請けで水道栓の部品等を作り始め、大山ブロー工業所を創設。19歳で乳が亡くなり大学進学をあきらめて家業を継ぐ。父のプラスチック公寿尾を引き継いだが、下請け仕事で終わりたくなかった。自分の意思で値決めするには独自商品を持つ必要があり、真珠養殖のためにプラスチックでデザインも工夫したブイを開発した。育苗箱を開発し、工場用地を確保して、当初500万円だった年間売上高を8年で7億6000万円に伸ばした。オイルショックで原価割れで投げ売りが行われ、蓄えも底を尽き、工場を宮城1か所に絞り、従業員を半分に減らした。不況時でも利益を出せる会社にするには、産業界向けでなく消費者向けビジネスに的を絞り、地方企業で規模は小さくとも売り上げを伸ばし利益率の高い園芸用品を取り扱う会社に注目した。植木鉢やプランターのアイデアは妻が出したものだった。そこから飾る園芸にコンセプトを広げ、ガーデニング市場を創造した。次にペット用品を扱い、ペットブームを作った。探す収納は爆発的にヒットした。問屋を通さず問屋兼メーカーの仕組み作りを始め、社名もアイリスオーヤマと変更した。アメリカに進出しクリア収納を手掛けるとヒット。オランダを始め欧州でも透明の収納ケースを普及させた。中国でも大連に7つ、蘇州に1つ工場を設け、現地社員を登用した。ペット食品のブランド化を図ろうとしたのは失敗し2年で撤退した。M&Aで黒字に転じたグループ企業も増やした。高齢化で市場の伸びが悩み始めると、売り場作りと接客を請け負うセールス・エイド・スタッフを作り、店舗に派遣した。公取から勘違いされたこともあったが、今や850人が従事してくれている。SASの報告から商品開発に繋がっている。バイヤーの壁を崩すためネット通販を開始。扱う商品は被らないようにしている。創業の理念を引き継ぐために株式は上場しない。東日本大震災の時、企業の哲学が社員の体に入っていたからこそ、たとえば気仙沼店では暖房用の灯油を1人10リットルまで無料で配ることができた。首になるかもしれないが、それでもいいという覚悟で店長は取材に語ってくれた。

・管理者十訓の第一条に「管理者とは管理人ではない。常に本質的、多面的、長期的に考え計画を立案し、三現主義で部下を教育し、そして育成する指導者である」と定めている。リーダーシップには管理者のリーダーシップと経営者のリーダーシップがある。経営者のリーダーシップは①構想力②具体的に行動に移す③チーム全員を自分の信念に基づいた目的・目標達成のために共感させる力を持つことである。