冬姫 葉室麟

2014年11月25日第1刷 2015年1月13日第3刷

 

裏表紙「織田信長の二女、冬。その器量の良さ故に、父親に格別に遇され、周囲の女たちの嫉妬に翻弄される。戦国の世では、男は戦を行い、熾烈に覇権を争い、女は武器を持たずに、心の刃を研ぎすまし、苛烈な〈女いくさ〉を仕掛けあう。その渦中にあって、冬は父への敬慕の念と、名将の夫・蒲生氏郷へのひたむきな愛情を胸に、乱世を生き抜いてゆく。自ら運命を切り開いた女性の数奇な生涯を辿る歴史長編。」

 

織田信長の嫡男は「奇妙丸」(信忠)、次男が「茶筅(せん)丸」(信雄)、長女が「五徳」(德姫で後に徳川信康正室)。信長は子供達に奇妙な名前を付けたが、次女だけは「冬」と名付けた。冬は大変な器量よしだった。蒲生賢秀の嫡男氏郷、幼名鶴千代は人質として織田家に預けられた。賢秀は近江国蒲生郡日野(中野)城主として近江南部を支配する六角氏に仕えていたが、信長が足利義昭を将軍として伴って上洛した際、信長の軍門に下った証として息子鶴千代を差し出し、信長は嫡男信忠の万一に備えて冬姫を鶴千代に娶らせた。この時、氏郷(鶴千代)14歳、「冬姫」12歳。信長は侍女のもずと剛力の鯰江又蔵を冬姫の護衛につけて岡崎城の五徳を見舞わせたが、その際の蜘蛛合戦で冬姫を亡き者にせんとの企みにもずが吹矢で窮地を脱し、日野城での猿楽に扮した冬姫の刺客には2人が楯となり、光秀も冬姫を救った。家宝が鍋の方に盗まれたと知った冬姫は岐阜城に赴くが、これは信長が天下人になった時を見計らっての鍋の方の罠だった。斉藤道三の娘であり信長の正室帰蝶濃姫)が現れて自分が冬姫を呼んだと述べて冬姫は救われた。帰蝶が近江の成菩提院で産んだ女子が冬と名付けられた。しかし信長の子を産んだとなれば土岐家から信長が狙われるため産んだとはいえず、濃姫は冬を乳母に預け、乳母が冬姫を育てた。信長は浅井、朝倉を滅ぼし、武田をも打ち破り、本拠地を岐阜から安土城に遷そうとした。お市が長政の髑髏で呪詛を行ったとすれば、その怨念が〈本能寺の変〉を引き起こしたのかもしれない。信長が本能寺の変で倒れると、近江近郊の豪族たちは光秀になびき、氏郷に誘いがきたが、氏郷は断った。氏郷は信長の娘冬姫のために光秀に与しなかった。日野城明智の大軍に取り囲まれたが、秀吉が怒濤の勢いで戻ってきたため、光秀は日野城にかまっている暇がなくなった。勝家との戦いに勝利した秀吉の命により、冬姫は勝家に嫁いだお市と3人の子を助けに出向き、3人の子だけは引き取れた。氏郷は秀吉から南伊勢12万石を与えられた。氏郷は高山右近からの誘いで洗礼を受けた。細川忠興の妻ガラシャ明智光秀の娘で、冬姫にとり父の敵の娘ではあったが、信長がキリスト教を庇護する一方で、秀吉はキリシタン禁止令を出したため、ガラシャの悲しみに冬姫は共感し、夫が洗礼を受けることにも理解を示した。秀吉は小田原城に遅れて参陣した伊達政宗を七十万石に減らし。氏郷には会津四郡と南仙道五郡四十二万石を与えた。九戸政実の謀叛を鎮圧すると九十二万石を与えられ、家康、毛利輝元前田利家に次ぐ大大名となった。氏郷は会津黒川城を若松城と改め本格的な経営に当たった。氏郷はお市の娘淀の方(茶々)や石田三成から敵視され、40歳の若さで病没した。茶々が毒を盛って殺したように描かれている。茶々は蒲生家廃絶に執念を燃やすが、氏郷の嫡男秀隆は秀吉の命により家康の娘振姫を妻とし、会津九十二万石を相続した。茶々が権勢をふるう世では、淀殿と三成に抗するためには、家康を頼むしかないと、鍋の方は冬姫を諭した。そこに家康の長男信康に嫁いだ姉の五徳が現れ、家康を冬姫に引き合わせ、冬姫は家康との盟を結ぶことに成功する。関ヶ原の戦で徳川方につき、蒲生家は60万石を与えられ会津に復帰した。秀隆は秀行と名を改めたが、30歳の若さで亡くなり、その後を継いだ忠郷、忠知も若くして亡くなり、嗣子が無かったため廃絶された。蒲生家の行く末を見届けた冬姫は81歳でこの世を去った。“心の刃を研いで、いくさをせねばならないのです”“武家の女は槍や刀ではなく心の刃を研いでいくさをせねばならないのです”と語った冬姫だった。