江戸の海《下》 白石一郎

2016年12月10日発行

 

夕凪ぎ

 伯方島で旦那衆と呼ばれる2人の壮年が突然姿をくらました。2人は日用雑貨の店主と渡海船を運営する船主だった。杳として行方が知れず7年が経過した。ある時、江戸に出向いた船頭が深川で行方知れずとなった1人の男と出会った。島役人が江戸に渡って調べると、兄が死んで言われるままに兄嫁を貰って生きているのが口惜しくて島を出たと語った。もう一人の男は母のことで悩み大阪に行ったとのことだった。2人は島にいたある日、夕凪の海に出てやり直してみようかと言い出したのがきっかけで島を出たことを明かした。女達は亭主のことなど忘れて逞しく生きていた。島役人は女たちに知らせる必要もないし、女たちも知る必要はなかった。

 

悪党たちの海

 一艘の漁師船に乗り込んだ千吉を伊三次は匕首でえぐり殺害した。伊三次は医者の篠田休悦の如く、若く美しい妻女を取り替え妾も頻繁に入れ替え、自らは悪事に手を染めず全て他人にやらせる悪党に羨望を抱き、千吉の若く美しい妻女に懸想して近づいた。伊三次は休悦の配下の元で悪党の度胸をつけようと、ご法度とされていた沈んだ銅探しにも精を出した。が千吉殺しの下手人として挙げられた。奉行所に投げ文があったからだった。千吉の死後、せっせと千吉の女房に金を貢ぎ追い廻し、女房が困って小庄屋に相談し、休悦の配下が投げ文をしたからだった。小心者は悪さを覚えるとすぐ人を殺してしまうから怖い、仲間を選ぶ時は用心するよう休悦は配下に語った。

 

人呼びの丘

 備前と美作の国境にある三沢城の城主三沢但馬守信隆と家老武田山海入道信広と美作の石谷茂親の重臣宝田刑部は毛利勢に包囲され、降伏するための話し合いを持った。宝田刑部は毛利家の本陣に戻り総大将吉川元春と副将小早川隆景に報告し、山海入道は単身で毛利家の本陣に出向き、主君が降参することを承諾したので整理のために数日の猶予を貰いたいと言い、時間稼ぎをし、その間に羽柴家の軍勢2万と宇喜多勢併せて3万の本隊がはせ参じることになったのをそのまま打ち明け、毛利をたばかった山海入道の首を差し出そうとした。小早川隆景は入道が自らの命を擲って敵中へ身を投じた忠臣であるからこの者を殺せば男の名を天下にあげ、たばかられた毛利家は恥の上塗りをすることになるから、のしをつけ、戦場で会おうと言って三沢城に返した。刑部は入道の爽やかさを羨ましく思う旨遺書を遺して一足先に切腹していた。

 

海の一夜陣

 ガイドが宮島を巌島と昔呼んでいたと説明するのを聞いて、何で呼び名を変える必要があったのか疑問に思い瀬戸内海への取材旅行の帰路に巌島に立ち寄った。毛利元就が3千5百の兵で奇襲し陶晴賢の2万の軍勢に大勝したというが本当だろうか。毛利は村上水軍の協力を仰いで3千5百の兵を二つに分け、元就の本隊と小早川隆景の別動隊と更に宮ノ尾の城兵の三方から陶本陣へと攻め寄せ、わずか一夜でことごとく沈められ陶は山中で自害した。中には運よく網の目を逃れて山中深く分け入って逃れた者もいた。相合次郎太がその一人だった。

 

トトカカ舟

 志摩半島の東岸の伊良湖水道に面した岬の付け根にある高田村の海女のおみねは溺れかけたところを竜蔵の次男竜次に助けられたことがきっかけで、単身で竜次の下に足入れして嫁になった。おみねはフネドの中で一番で、実家に反対されても竜次の下に嫁ぎ、鮑をさんざん取り稼いで、目標通りに竜次の家を建て直した。しかし、ある日、おみねは魔物のトモカヅキに魅入られて浮かびあがって来なかった。海の神様の祟りに違いないと村の海女たちが囁きあっていた。トトカカ船一艘が村から消えた。