たった一人の反乱《下》 丸谷才一

1996年9月10日発行

 

知り合いの写真賞の受賞式に馬淵が出掛けると、お豊と再会した。ユカリもユカリの父もその場にいた。どうやらユカリの父に授賞式のスピーチをさせているが、著者が最も言いたかったのはおそらくユカリの父の口から吐き出された言葉だったように思う。「芸術は広場の時計塔を破壊する凶悪な行為である」「ニューヨーク近代美術館に『記憶の持続』というダリの絵があるが、このシュルレアリズムの傑作では懐中時計がぐにゃぐにゃ折れ曲り垂れ下っている。市民社会に生きながらそれに悪意を抱き、芸術というたった一人の反乱を企てつづけている者、おこないつづけている者、すなわち芸術家の暗い夢を、あれほど鮮やかに示してくれるものはほかにない」「文学賞の商品として時計を贈る風習は、文学者を市民社会に適合するように飼い馴らそうとする陰謀である、と言い得るかもしれない」「写真集の場合の時計とは何か」「絵画に比して格式の低い芸術と考えられている写真の性格は長所でもある。その危険に最も直面している報道カメラマンの場合、芸術でないつもりでも芸術を作ってしまう。時計でありながらしかも市民社会のしるしでないという意味で、闇によって闇を計る極めてロマンチックな計器なのではないか。そんな黒い腕時計をはめた、はめさせられた貝塚君の今後の作品に対し、心から興味を抱き、関心を持つことになる」と。貝塚と妻ユカリが不倫したことを打ち明けられた馬淵は、ユカリから先妻のベッドをそのまま使わせるなんてひどいと言われ、妻であって妾でないことが自明のはずなのに急に曖昧になり、妻であったか妾であったか考え、死んだ先妻が妻として意識されたのが、ツルという女中がいて家の中がきちんとしていたせいではないという気さえしてきた。

 

馬淵の目線からすれば、反乱と言えるほど大層な波風が立っているとは思えない。が、別の目線から見れば、その頭の中では反乱を描き出したということなのか。