「明治」という国家[下] 司馬遼太郎

1994年1月30日第1刷発行 2007年2月25日第36刷発行

 

表紙裏「《彼方の国、蜃気楼のような》二十世紀は『明治』に始まり、いま、その総括の時期にある。激動の昭和が終わり平成となった年は、世界史の一大転換期でもあった。時代のうねりは、歴史を書きかえ、人びとは、自らの行く手に思いを馳せる。歴史のなかに、鮮やかな光芒を放った“『明治』という国家”、その『かたち』を、『ひとびと』を、真摯に糺しながら、国民国家の形成を目指した“明治の父たち”の人間智と時代精神の核と髄とを、清冽な筆致で綴り、日本の国家と日本人のアイデンティティに迫る。」

 

目次

第7章 『自助論』の世界

第8章 東郷の学んだカレッジ―テムズ河畔にて

第9章 勝海舟とカッテンディーケ―“国民”の成立とオランダ

第10章 サムライの終焉あるいは武士の反乱

第11章 「自由と憲法」をめぐる話―ネーションからステートへ

おわりに “モンゴロイド家の人々”など

あらたな「あとがき」

 

豊臣秀吉朝鮮侵略の時に朝鮮に李舜臣という素晴らしい人がアドミラルとして活躍したが、嫉まれて牢屋に入れられ日本の水軍がやってくると牢から出されて日本水軍を撃退し、遂に戦場で死ぬが、李舜臣を韓国人は忘れていて、李舜臣を発見・研究したのは明治の日本海軍だった。

・世界最初の市民社会国民国家)はオランダだったと言えるかもしれない。そのプロテスタントのオランダが日本にやってきた。オランダからやってきた海軍今日詩壇の団長がカッテンディーケで彼が勝を真の革命派の闘士として注目した。カッテンディーケは長崎の商人に、長崎の無防備ぶりを驚いて質問するが、商人はそれは幕府のやることで我々の知ったことではないと答えるのを聞いて大層驚く。カッテンディーケは勝に国民というものを教え、勝は国民もしくは最初の日本人になった。勝は坂本を得て、勝という蒸留酒が坂本という瓶子に移されたのかもしれない。

内村鑑三のいう二人の父は「肉体の父として日本武士を所有し、霊魂の父として排日法を布く以前の生粋の米国人をもちしことを誇りとする」(「私の信仰の先生」)。

明治維新は世界の大思想とは無縁に起こった革命だった。熊本の庄屋の長男宮崎八郎はルソーの「社会契約論」を経典とした。高知の立志社が呼びかけて全国規模の自由民権運動を起した。その結社の名「愛国社」が国会を開けという大合唱を発し、政府も国会を開くという誓約をした。

・日本もドイツも統帥権(軍隊を動かす権)の独立が国を滅ぼした。