ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女 2018年 監督ホ・ジノ

大韓帝国の初代皇帝・高宗は、我が娘徳恵翁主の行く末を将軍の息子で将来徳恵の婿となるよう頼んだ少年キム・ジャンハンに託した後に毒殺され、その場に徳恵翁主が現れるところから始まる。徳恵の兄純宗が二代皇帝となり、徳恵は日本の皇族と認められ、日本の学習院に留学することを命じられる。徳恵は拒絶したかったが、母の命は保証できないと朝鮮総督府ハン長官から脅され、勉学を終えれば必ず帰国すると母に約束し、日本の着物を身につけさせられて侍女ポクスンに伴われて日本に到着する。場面は1961年東京国際空港に移り、一人の男性が降り立ち、寝たきりの英親王を病院に訪ねた。英親王は日本の元皇族・方子妃と結婚して来日していた。空港に降り立った男性は英親王邸を訪ねると、場面が昔に戻り、邸でピアノを弾くソン・イェジン演じる徳恵翁主が現れ、日本陸軍少尉が近づくと、高宗とその妻とハン長官がいて挨拶をする。少尉は徳恵にジャンハンだと告げる。食事会の席で徳恵はハン長官にいつ帰国できるか聞くが、ハン長官は日本と一体となった韓国に戻る必要はないと答えると、徳恵は席を立つ。ジャンハンは徳恵翁主や英親王を上海に亡命させようとしていた。徳恵は朝鮮の子供達のために朝鮮ハングル学校を立ち上げた。ハン長官は日本で起きた朝鮮人暴動を収めるため徳恵を利用しようとし、母の危篤で帰国したいなら用意された演説原稿をそのまま読むよう命じた。ジャンハンは徳恵が朝鮮の象徴であり反対するが、母を見舞うために徳恵は演説を行う。当日用意された原稿を読み始めた徳恵は小さい子供の指が失われている姿を目にし、原稿ではなく自分の口で誇りを忘れず春が来ることを諦めてはいけないと語る。結果、朝鮮労働人たちは祖国を恋しがり、騒ぎ出したために日本軍に暴力により押さえつけられ、ハン長官は徳恵を殴り付ける。侍女ポクスンが強制連行され徳恵は一人で日本に残ることに。密航してでも帰国する準備をしていた徳恵の下に母の訃報が届く。旧対馬藩の当主宗武志伯爵との政略結婚の話が進む一方で、上海亡命計画が進められた。陸軍大臣参列の式典で爆弾事件を起こし、徳恵は高宗の妃方子を連れ出したが、亡命計画は失敗に終わり、ジャンハンは徳恵を連れて静岡県の独立軍の隠れ家に逃げ込んだ。隠れ家が日本軍に取り囲まれたために秘密の逃げ道を通じて航路で逃げようとしたがハン長官が現れジャンハンは数発の弾丸を浴びせ、徳恵は連れ戻された。徳恵は宋武志と結婚するが、これに朝鮮の民衆は激怒した。その後人々から徳恵の記憶は消えていった。場面が1961年と当時が交互に現れ、一命を取り留めた足を引きずるジャンハンが宋武志の家を訪問し、徳恵が宋武志との間で娘を一人もうけたが、娘が自殺したこと、徳恵と離婚し、徳恵が去って行ったことを聞いた。映像は1945年8月15日に移り、日本敗戦の報を知った徳恵は下関から娘を連れて韓国に戻ろうと出国手続きを取るが、韓国から入国拒否されて出国できなかった。一方その横でかつて亡命を阻止したハンが出国していったため徳恵は笑い転げて見送った。韓国政府は王族の帰国を認めなかった。徳恵は母の姓の梁徳恵を名乗り、精神病院の独房室でひっそりと拘束されて生きていた。誰一人面会に来た者はおらず、ジャンハンが初めて徳恵の顔を見に見たのだった。国交正常化に向けた記者会見の場で記者として大韓帝国最後の皇族が帰国できないのを放置するのかと質問をしていると室外に追い出された。記者会見終了後、英親王と徳恵を帰国させてほしいとのジャンハンの要望を聞いた議長(後の大統領)が徳恵の帰国を認め、ジャンハンは病院を訪ね、再び徳恵と再会した。徳恵はジャンハンを覚えていた。38年ぶりに空港で徳恵を待つ朝鮮の人々に迎い入れた中に老いたポクスンもいた。民族服を着て中和殿に向かうと、部屋の中に父と母の姿を見た。1989年4月21日楽善斎にて78歳の生涯を終えた。

老齢の徳恵翁主を演じるソン・イェジンの演技(顔や手の皴やシミ、猫背、目つき等を含め)が素晴らしい。