この世をば 藤原道長と平安王朝の時代〈上〉 永井路子

2023年11月30日第1刷発行 2024年6月10日第4刷発行

 

裏表紙「藤原兼家三男に生まれた道長は、才気溢れる長兄道隆、野心家の兄兼道に比べて、凡庸で目立たない存在だった。左大臣の娘・倫子と結婚、そして父の死により、出世競争の道を走り始める。平安時代の寵児・藤原道長の生涯を通して、王朝の貴族社会を描いた傑作歴史小説。」

 

次兄道兼は師貞(花京院)を謀って退位させ一条天皇を即位させたのに、その功績が十分評価されず長兄道隆だけが出世したことに羨んでいた。三男で出世が望めない弟道長に娘倫子が嫁ぐと聞かされた左大臣雅信は必ずしもこの結婚に賛成でなかった。一条天皇の生母であり道長の姉詮子は道長従三位を贈って倫子との縁談を進めてあげようとした。道長の父兼家は倫子の父雅信と相通じて道長が倫子に相応しい夫になるよう左京大夫だった道長を権中納言に昇進させるのに成功する。もっともこの人事のため右大臣為光は息子の誠信を参議に引き上げさせ、このため嫡流を任じる実資は人事の不満を日記にぶちまけた。道長は倫子が身籠っていながら明子の家に通ってしまう。詮子は明子の養母的な存在であり2人目の妻であるが道長以外に明子を幸せにすることはできないと考えていた。父兼家が死ぬと長兄道隆が摂政となり、幼き一条天皇中宮(定子)を立て、掟破りの四后併立を実現する。円融法皇がこの世を去ると、道兼が右大臣に、道長権大納言に昇進したが、それ以上に道隆の長男道頼が権中納言に、もう一人の息子秀才の伊周が権中納言に一気に昇進する。詮子が落飾して東三条院となり、道長は身籠った倫子を連れて詮子と一緒に一条邸に移る。倫子は男の子を出産し、同時に明子も道長の子を身籠った。疫病が流行り始めた頃、道兼は道長に道真公の夢じらせを聞いたことを教え、道真公に太政大臣が贈られたが、疫病は収まらず関白道隆は自分が亡くなる前に伊周に関白を継がせようと、まずは権大納言伊周を内大臣に昇格させ、その後も伊周を関白に取り上げようと画策したが、詮子に阻まれて一条天皇の許を得られず亡くなった。詮子は伊周でなく道兼を関白とすることに成功するが、道兼も疫病で僅か7日後に亡くなり、伊周と道長の戦いとなったが、この時道長は文書内覧だけは許されたが関白は許されなかった。一条天皇中宮定子を愛しており、定子の基盤固めのためには兄伊周を無視することはできなかったからだった。