杢太郎の祖父の祈りの言葉「爺やんが死ねば爺やんち思うて拝め。わかるかい杢。お前やそのよな体して生まれてきたが、魂だけは、そこらわたりの子どもとくらぶれば、天と地のごつお前の魂のほうがずんと深いわい。泣くな杢。爺やんのほうが泣こうごたる。杢よい。お前がひとくちでもものがいえれば、爺やんが胸も、ちっとは晴るって。いえんものかいのーひとくちでも」
国が、会社が命じた、と述べ、あえて非人格的な表現をとり、特定の人間には責任がないかのように語る者たちの言葉を、私たちは今も日々、耳にしている。そこに働いているのは人間だけなのに、人間がやったのではないような表現を押し付けられrことがある。
群れと闘い得るのは、もう一つの群れではなく、個である、という確認がここにある。人は群れた途端に見えなくなるものがあります。だが、ひとりでいるときには、はっきりと見える。石牟礼はそのことに気づき、ひとりで闘った。
「チッソというのはもう一人の自分だった」
「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱していくのかということが、大きな問いとしてあるように思います(緒方正人「チッソは私であった」)