15歳の寺子屋 宇宙少年 野口聡一

2011年6月23日 第1刷発行

 

宇宙から地球を見た野口さんは、「理解することと、体験することは違う。常識だと思っていたことも、当然すぎて疑問に思わなかったことも、実際にこの目で見ると、その意味の深さに気づかされる。地球が美しいことも、あらゆる命がここに息づいているということも、じつに驚くべきことなんだ!」と述べています。昼と夜が45分ごとに繰り返され、昼は120℃以上に上昇し、夜はマイナス150℃にまで到達する。そんな宇宙空間の中で仕事をするための訓練を積んで、宇宙飛行士として地球を2832回回った野口さん(本書発行時)。

1965年生まれの野口さんは、小学2年から始めたボーイスカウトで視野を広げ、京都大学に落ちた後、一浪し、宇宙やロケットの研究をするなら、むしろ東大に行った方がよいと気づいて進路変更し、翌年合格。大学院で研究をつづけた後に石川島播磨工業株式会社に入社し、1996年には現JAXAの宇宙飛行士候補者に選定され、2005年と2009年に宇宙飛行士として活躍されています。

宇宙から見た地球は美しく、そしてこの地球で今も人々が暮らしている、この地球だけが私たちの居場所なんだと本能的に感じると仰っている野口さん。冒頭の言葉にあるように、自分で行動して理解するだけでなくいろんなことを体験してほしいと訴えかけられています。

好奇心を育て、自分の目や耳や手足で確かめ、五感を使って感じてほしい。それには行動力も必要だし、勇気も必要。それをいとわず恐れず自分で行動を起こせば、世界は何百倍も面白くなるはずと。

 

確かにその通りなんですよね。ネットが発達してとても便利な世の中になった現在、ネットを叩けば、すぐに分かった気になる、そんな自分を戒め、本当にわかるというのはどういうこと?って自問自答していたので、そんな私にはこの本が一つの答えを出してくれているように感じました。

どこかでベートーヴェン 中山七里

2016年6月8日第1刷発行 2016年7月16日第2刷発行

 

ピアノの天才・岬洋介。高校の同級生に嫉妬されながら、飄々として意に介さない。というか気づいていない。

同級生の岬の友達として登場する主人公が、高校で起きた殺人事件を、岬が解決していく様をそばでずっと見て、そして、人として成長していく、そんなミステリーです。

もっとも単なるミステリーではなく、天才といえど、努力のたまもの、とか、岬自身が難聴になる、とか、ベートーヴェンの楽曲を読者がイメージして読み進めていく構成だとか、単なるミステリー小説プラスαがこの小説の面白さ。そして何より最後にこの友が10年後に原稿に向かう。この友こそが●●(ネタはばらせません)。だから実話なんじゃないかなと思わせるような筆力です。久しぶりに面白いミステリーを読みました。

卓球ジャパン女子 高樹ミナ

2020年3月 初版第一刷発行

 

東京オリンピックの卓球女子個人と団体戦の日本代表に選ばれた伊藤美誠選手と団体戦の日本代表に選ばれた平野美宇選手。惜しくも落選した早田ひな選手。皆2000年生まれのライバルでもあり、友人でもある。切磋琢磨してきた歴史がコンパクトにまとまっています。

3歳で卓球を始めた平野美宇選手。5歳の時に「第2の藍ちゃんって呼ばれているけどうれしい?」と聞かれて、「みうは、みう!」と答える。全日本選手権大会のバンビの部(小2以下対象)で小1で優勝。愛ちゃん以来12年ぶり。天才少女だったんですね。この時すでに「夢はオリンピックで金メダル!」とインタビューで発言。以来次々と記録を樹立。

伊藤美誠選手は、お母さんも卓球選手。お母さんはお腹にいるときからトイレットペーパーの芯をつなげて長い筒をつくりお腹にあてて、テレビを見ながら実況中継、お腹に質問を投げかける。3歳少し前から卓球を始める。マイラケットを買った次の日から練習。するとラリーが続き、才能を感じたお母さんはコーチになることを決意。平日で3時間、土日は時間練習を続ける。4歳で1日7時間練習。小学2年の時から様々な大会で優勝。小学6年生の時には平野選手を破って東アジアホープス卓球大会で優秀。2人は子供の時からライバルだったんですね。

2人は5際の時からダブルスを組み、小6で全日本選手権大会「一般の部」でインターハイベスト8の高校生ペアを破り、史上最年少記録を塗り替える。中学は平野選手が東京JOCエリートアカデミーに、伊藤選手が大阪市の関西卓球アカデミーに。

13歳だった「みうみま」ペアは2014年3月のワールドツアー・ドイツオープンでツアー初優勝。史上最年少記録、ギネスブックの世界記録にも認定。14歳でワールドツアー・グランドファイナル優勝。

2016年リオデジャネイロ大会の日本代表候補に加わるきっかけとなったワールドツアー・ドイツオープンの女史シングルスで優勝した伊藤選手は、ツアー史上最年少記録を更新するとともにギネス世界記録にも認定。小6の作文で2016年にオリンピックに出場して2020年には団体優勝、個人戦で優勝したいと書いていた。リオでは女子団体銅メダル獲得。この時平野選手はリザーブとして帯同。リオの代表発表後2か月して平野選手はプレースタイル大改造を始め、安定型から攻撃型に変更。2016年リオ大会直後の女子ワールドカップで平野選手が優勝。16歳のワールドカップ優勝は史上最年少記録で、ワールドカップ優勝自体、男女通じて日本人初の快挙。平野選手が躍進を遂げる中、伊藤選手はこの時スランプに。省エネ卓球を変えようとフットワーク練習に取り組み2018年全日本選手権大会で女子シングルとダブルス、混合ダブルスの3種目すべてに優勝。ここで平野選手に伊藤選手が追いつく感じになりました。中国選手を次々と打ち破り「大魔王」のニックネームがつけられる、伊藤選手と早田選手の「みまひな」ペアがワールドツアーで4回優勝し、女子ダブルス世界ランキング1位に立つ。

早田選手は平野・伊藤選手にあこがれて、「練習は不可能を可能にする」をモットーにする地元クラブで練習に励み、中学生で国内で優勝するまでに。2016年にはワールドツアーで優勝し、ニューヒロインとして脚光を浴びる。

2020年東京オリンピックの代表選考は熾烈な戦いに。平野美宇選手は中国選手に徹底的に研究され、暗闇をさまよう。2018年4月からプロに転向し、2019年復調の足掛かりをつかむ。

伊藤選手が代表一番乗り、石川選手が2番手につけて、残ったひと枠を平野選手が選ばれる。早田選手は惜しくも落選するが、2024年パリ大会に向けて気持ちを既に切り替えて頑張っている。2020年1月、全日本選手権大会女子シングルスで初優勝を果たす。切磋琢磨するライバルたちの戦い。ライバルがいるから強くなれたとの3人の言葉は互いを認め合い尊敬し合う、そんな卓球ジャパン女子のお話でした。

15歳の寺子屋 森をつくる C・W・ニコル 

2013年3月25日 第1刷発行

 

1940年、ウェールズで生まれ、40歳より日本で生活。1995年に日本国籍を取得。長野県の黒姫山のふもとに森を作って30年。森林が国土面積の67%を占めながら、豊かな原生林は実はいまや2%にまで激減。伐採した跡地に針葉樹のみを植える日本の植林政索と林道造成は、森から流れ出す川の土手をコンクリートで固めて砂防ダムにしてしまい(そうしないと森林伐採により突発的な洪水や浸食、地すべりが起きる)、コンクリートで護岸された川ではサケやアユが遡上できなくなり、魚も姿を消し、動植物が次から次へと姿を消していく。そんな日本の姿を見かねて、絶望の淵に落ち込んだ時に、故郷のウェールズの醜いボタ山が森林公園に姿を変えたのを見て、日本の森7600㎡の土地を買い取り、自分で森を作ることに。こうして「アファン(風の通る谷)の森」づくりが始まる。

最初に取り組んだのはササをかりつくすこと。ササはカビをはじめ生物の繁殖を抑える働きをするので。もっとも鳥がササに巣を作っている場合は刈らない。昆虫の増えすぎを抑えるためにも小鳥を森に戻すことが必要だから。針葉樹だけでなく広葉樹もある混交林となれば根っこが互いに絡まり合い土壌が浸食されにくい。ブナなどの広葉樹林が緑のダムと呼ばれるのはこういうわけだそうだ。2010年の調査ではアファンの森では80種類の樹木も含めて502種の植物、鳥は59種、クモは150種、トンボは37種。26種類の絶滅危惧種がここで暮らしている。クマも殺さず共存を目指している。

2002年8月15日、ウェールズのアファン・アルゴールド森林公園とアファンの森が姉妹森になる同意書に署名。日本には全国で130人しかレンジャーがいない。カナダのレンジャーは4000人を超え、アメリカにはその2倍以上もいる。日本人の自然音痴を改善するため、レンジャーとフィールドワーカー養成のための専門学校創設に関わる。現在では東京環境工科専門学校という名前で。2013年2月1日現在、アファンの森は30万5千㎡。現在はホースロギング「馬搬」の実現を目指している。岩手大学等が中心となってホースロギングの普及活動を行っている。

 

時に自然のことに思いを馳せ、自然に体を触れさせ、自然を感じる。頭でっかちになりがちな現代の日本人こそが読むべき一書です。

エイブラハム・リンカン アンナ・スプロウル 訳/茅野美ど里

1994年4月3日 初版第1刷

 

1809年2月12日、ケンタッキー州の農家の丸太小屋で生まれる。教室での教育は1年にも満たず。25歳で州会議員に。28歳で弁護士資格を取り、37歳で下院議員に。

1850年、ストー夫人の『アンクル・トムの小屋』がベストセラーとなり、自由州では奴隷制の廃止を求める声が圧倒的になる。51歳で共和党から第16代大統領に。ほぼ同時期に6つの州が連邦を離脱し南部連合を結成。連邦を救うために南北戦争がスタート。

リンカンは政治家としては奴隷制廃止論者ではなかったが、人間としては奴隷制藩士論者に賛成。53歳の時、連邦を救うため、戦争に勝つために奴隷解放予備宣言を発する。そして遂に1863年1月1日、奴隷解放宣言に署名。1863年11月19日、ゲティスバーグの町はずれの丘で連邦の戦没者墓地開所式で、2分ちょっとの歴史的な演説を行う。

「名誉ある戦死者が、最後の最後まで身を挺して守りぬこうとしたもの、われわれはそれをさらなる献身をもって、やりぬかねばなりません。かれらの死を無駄にしないために、この国が神のもとで、自由の国として新しく生まれるためにー人民の、人民による、人民のための政府が地球上から消えてしまわないように、やりぬくことを強く決意するものであります」

グラント将軍の活躍や、黒人が自由を求めて連邦のために戦ったことから、遂に連邦に勝利がもたらされる。1865年4月9日、南軍リー将軍が降伏文書に署名して戦争は終結

次は、国内の平和を勝ち取るために、奴隷ナシの暮らしを受け入れてくれるよう説得しようとした矢先、4月14日、喜劇鑑賞中に凶弾に倒れ、翌15日午前7時22分に亡くなる。生前中、合衆国全土で奴隷制を禁止する新しい法律、憲法修正条項を議会に提出し、全土で350万人の奴隷が自由に。黒人に選挙権を与えようとしていた矢先であった。それでも1870年、修正条項15条が議会を通過。もっとも南部の州は、以後も法に背いた状態が続く。

1863年から100年後の1963年8月28日、キング牧師による歴史に残る演説。

それでも、今なお続く黒人差別。それを撤廃するための戦いはまだまだ続く。

 

初代ワシントン大統領、第3代ジェファーソン大統領、第16代リンカン大統領が恐らく歴代大統領の中でも最も偉大な大統領だとされていると思う。その中に農民の中から苦学して大統領になったというリンカンは異色中の異色だと思う。

 

 

15歳の寺子屋 道しるべ 瀬戸内寂聴

2012年6月11日 第1刷発行

 

数々の文学賞を受賞された筆者ならではの貴重なお話があるのでは?と思って読みました(61年田村俊子賞田村俊子』、63年女流文学賞『夏の終り』、92年谷崎淳一郎賞『花に問え』、96年芸術選奨文部大臣賞『白道』、01年野間文藝賞『場所』、06年国際ノニーノ章、08年安吾賞、11年泉鏡花文学賞『風景』)。

15歳向けの本なので、①疑うこと、②挑戦すること、の2つを勧めています。戦争体験から①が重要だと。それに、自らの小学生時代の本をたくさん読んだ経験から、「創造力」=「思いやり」を身につけようとも。

筆者にとっては「源氏物語」「堕落論」が大きな影響を与えたようです。また小説家になるため離婚し、また出家して自己を深めようとする。スペンサーの「若き日に薔薇を摘め」との言葉を若い人に贈っています。これは②の挑戦することへの勧めですね。

岡本太郎さんの「より危険な方向にいきなさい」とのアドバイス。「忘己利他(もうこりた)」という言葉。若い人に色々なことを語っておきたいという心は伝わってきます。そんな本でした。

15歳の寺子屋 落語が教えてくれること 柳家花緑

2011年3月14日 第1刷発行

 

中学校時代(3年生)の通知表の写真をドーンと冒頭に丸ごと載せている!すごい勇気!本人が言うように確かに国語・社会・数学・理科・英語の、いわゆる主要科目が1・1・1・1・2となっている!落語家って頭のいい人がやるもんだと思っていたけど、これこそ学校の通知表=頭のいい人とは限らない、という事実を証明する、素晴らしい証拠!って感じです。痛快ですね。

 

5代目柳家小さん(落語家として初めて人間国宝になった)の孫というだけで、きっと恐らく相当不レッシャーがあったと思いますが、中学卒業と同時に祖父に弟子入り。戦後最年少で真打になったんだから、才能も本人の努力もあったに違いないと思います。何より、この本、とても分かり易いです。今の落語ブームが起きるより相当前の本だから、結構、柳家花緑、やるじゃん!っていう本です。

 

落語と言えば、人情噺やら、色々あるけれど、私は、内容はこれこそないような(!?)「千早ふる」が好きなんですね。誰もが一度は耳にしたことがある、在原業平が詠んだ「千早振る 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くぐるとも」という歌。この意味を娘に聞かれた八五郎が答えられず、隠居に教わりにきた。その隠居の説明が素晴らしい!①「竜田川」=相撲取りの名前、②初めて行った吉原で「千早」太夫に一目ぼれするも「振られ」、③妹の「神代」太夫も口説いたが思い通りにならない、④竜田川は失恋の痛手から廃業し豆腐屋に。女乞食からおからを分けてと言われて顔を射たら「千早」太夫のなれの果て、お「からやれない」と言い、⑤突き飛ばされた千早が「井戸をくぐり」身を投げて死んでしまった、と説明しちゃう。

元の意味は、“紅葉でこんなにも美しく染まる竜田川、神代の時代にもなかったことだ”というものなのに、全くめちゃめちゃな話に。最後の「とは」と聞かれた御隠居は、「千早の本名だ」と。中身もなければ深みも何にもない。でも、面白い。ないないずくしの面白さ。これも落語の醍醐味の一つですよね。

 

勿論、甚五郎の「竹の水仙」とか、「死神」など、有名な噺もたくさん紹介してくれています。落語はこれまで聞くもんだと思っていたけれど、文字になったのを読むのも結構面白いですね。