ソクラテスの弁明 プラトン 久保勉訳

1927年7月3日第1刷発行 1964年8月16日第23刷改版発行 1977年8月10日第41刷発行

 

 解説(17頁近くにも及ぶ)の末尾に、『弁明』で強調しようとしたプラトンの中心思想がコンパクトにまとめられていた。「ソクラテスは元来祖国に対する愛着のきわめて強い人であり、力の及びかぎり国法を遵守せんとする、義務観念の異常に強い忠良無比の市民であった。従って彼は市民としての義務を果すためには財産ないし身命の如き物質的財宝が危殆に瀕するかぎり、それらには全然無頓着に、喜んで国法に服従した。ただしかし至高の精神的問題の決定に際してのみ、彼は理性の是とするところ、または神の命ずるところに従わんがためには、国法に対して服従を拒むことをも敢てした」

 「無知の知」で有名なソクラテスだが、そのソクラテスの影響力を面白く思わないソフィストから訴えられた裁判で、ソクラテスは自らの信念を披歴し、堂々と正しいことを人々に述べて人々に良き影響を与えているのが悪だというなら、そんな裁判そのものが間違っていると強く非難する。対話で有名だと聞いていたが、最初から最後までソクラテスが自ら問を発し自ら答えるという自問自答形式がずっと続く。前半は「私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていない」「されば私は、少なくとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる」こういう態度を取り人々に影響を与えるソクラテスソフィストのターゲットにされた。そして前半の法廷の最後の方でソクラテスは「徳が富から生ずるのではなくて、むしろ富および人間にとっての他の一切の善きものは、私的生活においても公的生活においても、徳から生ずる」「私がかくの如き言葉によって青年を腐敗させているのならば、それはたしかに危険というべきであろう」「私はただこういうより外はないのである」と(1章から24章)。

 それでも結果は有罪判決。しかしそれほどの大差はない。次は量刑を決める場に移る。ここでソクラテスは自分に相応しいのは何か。それは「プリュタネイオンにおいて食事をさせる以上にふさわしいことはない」という。注を見ると、参政官らの執務する官庁にして国家の中心で、参政官や外国使節、特に国家に功労のあった人々(なかんずく凱旋将軍やオリュムビヤ競技の勝者の如き)はここで国費をもって食事を給された、とあるから、最高の食事を出すように述べたという(25章から28章)。

 これが逆鱗に触れて、判決は死刑判決となる。それが言い渡された後、「私に死を課したる諸君よ、私は敢えて諸君に言う、私の死後直ちに、諸君が私に課したる死刑よりも、ゼウスにかけて、さらに遥かに重き罰が、諸君の上に来るであろう」と。更に無罪投票をしてくれた人々にも話しかける(29章から33章)。

 これが、有名な『ソクラテスの弁明』か。人道的・哲学的な見方をするか、法律的な見方をするか、で評価が異なる書物だろうなあと思う。

むき出し 兼近大樹

2021年10月30日第1刷発行

 

 冒頭は、貧乏のどん底学習障害のような感じで勉強が出来ず喧嘩に明け暮れる日々が延々と続き、このまま続くようだったら面白くも何ともないので、読むのをやめようかなと思った途端、中卒後(定時制に一時通ったようだが)、仕事で苦労しつつ、落ちるところまで落ちるのではなく何とか踏みとどまろうと藻掻き続ける姿勢にようやく共感を抱いた。特に高齢者にカニを売りつけようと詐欺電話を掛ける会社に初日で人を騙す仕事はやってられないと啖呵を切ってやめてしまう話や、その後むしゃくしゃして人を殴り過ぎて殺してしまったかもしれないと思って自首した話、裏の風俗のボディーガードのような仕事をした後に大分経ってから逮捕され留置される話、留置場の中で小説に目覚めていく話、警察から昔の仲間と縁を切ろと言われて、母親と友人二人にだけ行先を告げてそれ以外は一切連絡を絶って上京する話、上京当初はものすごく苦労してルームシェアしたり年収20万だったりする話、どうして芸人になろうと思ったのかという話など結構面白く読み進めた。これってかなり実話に近いんじゃないかと思う。私小説っていうか。

 恐らくこの本を書いた動機も、「(芸人として)売れたら本を書いたりなんかして、誰かが檻の中で俺の本を読んでくれたりしてさ、一人じゃないよって、一緒だぜって、同じ階層に連れ出す階段になれたらいいよなぁ」(226頁)って書いてある箇所に表れていて、この部分は特に本心から書いているような気がする。

 

古事記 那須田淳

2012年12月20日第1刷発行 2014年10月31日第3刷発行

 

 上巻は神さまの時代(イザナギイザナミ天地創造からヤマサチと呼ばれたホオリ様が国を治めることになるまで)。下巻はひとの時代(仁徳天皇から推古天皇まで)。中巻はその間の神とひとの時代(神武天皇の即位から応神天皇の時代)。

 イザナギイザナミから、淡路島が生まれ、四国が生まれ、様々な神さまが生まれ、黄泉の国から戻ってきたイザナギが左の眼を洗うとアマテラスが、右の眼を洗うとツクヨミが誕生、鼻を洗うとスサノオが生まれる。アマテラスが天の岩屋に立て籠り、閉じ篭ってしまい闇夜になる。オモイカネが八咫(やがた)鏡と八尺(やさか)勾玉を作らせ、天の岩屋戸の前に置かれその前でアメノウズメが踊り出し八百万の神たちが笑い出すとようやくアマテラスが岩屋戸から出てきてしめ縄をめぐらせて世界に光が戻る。スサノオヤマタノオロチを退治すると尾から宝剣が出て来て、これをアマテラスに献上。ひとつ草なぎの剣となる。スサノオクシナダ姫と結婚し最初の子どもから六代後に生まれたのがオオクニヌシオオクニヌシがオオナムヂと呼ばれていたころ、因幡(イナバ)の白ウサギの話が登場。ご先祖様のスサノオが治める地下の国に旅立ったオオナムヂがスサノオからオオクニヌシと名乗って出雲の国を治めよと言われ国を治めていく。葦原中国(あしはらのなかつくに)が栄えると、天の高天原(たかまがはら)の頂から見下ろしていたアマテラスがタケミカヅチを遣わし、出雲の地に社を建てオオクニヌシを祀り、葦原中国の平定する。

 アマテラスは皇太子ニニギを葦原中国に遣わし、高千穂の山(宮崎県)に天帝の孫ニニギが降り立つ(天孫降臨)。ニニギのひ孫が初代天皇となる神武天皇トヨタマ姫がウガヤフキアエズを生み、叔母タマヨリ姫を妻として迎え、イツセ、イナヒ、ミケヌ、カムヤマトイワレビコの4柱の兄弟をもうけた。一番下イワレビコ神武天皇イワレビコが東に進み熊野で宝剣を手に入れ、奈良石上神社に納める。神武天皇から12代景行天皇の頃に移り沢山の皇子がいる中でその一人ヤマトタケルが父から命じられて西国を治めると次は東に旅をして関東の地を押え、足柄山の山頂からオトタチバナ姫を思い出し涙しながら「ああ、わが妻よ、わが妻よ」と。これが転じて東をあずまというようになった。鈴鹿山まで戻ってきたが力尽き空に一羽の白鳥が飛んできた。

 こんなまとめ方で正しいのか余り自信がないが、初めて古事記(入門編らしい)を読んだ。

 どの国にも国の成り立ちに関する神話があるのだから、一度は勉強しておかねばならないと思いつつ、中々読めなかったので、良い機会だった。

しらべよう!47都道府県 郷土の発展につくした先人 ③医療 監修/北俊夫

2021年3月初版第1刷

 

センジンファイル095 北海道 高橋房次造(1882~1960)

 アイヌの村にやってきた たったひとりの医師

 

センジンファイル096 福島 野口英世(1876~1928) 

 黄熱病とたたかった細菌学者

 

センジンファイル097 福井 杉田玄白(1733~1817)

 日本初の人体解剖学書『解体新書』を出版

 

センジンファイル098 山梨 杉浦健造(1866~1933) 

原因不明の病「地方病」の撲滅にとりくむ 犯人は寄生虫だった

 

センジンファイル099 大阪 緒方洪庵(1810~1863)

 蘭学塾「適塾」を開き 医療と教育につくした

 

センジンファイル100 和歌山 花岡青洲(1760~1835) 

 世界初!全身麻酔手術に成功

 

センジンファイル101 徳島 長井長義(1845~1929)

 ぜんそくの薬となるエフェドリンを発見。明治政府の第1回海外留学生に合格し、ベルリン大学で化学を学び、帰国後、東京大学教授をつとめ、衛生局(現厚労省)の東京試験所所長となり、漢方薬を西洋医学と結びつけ、エフェドリンをぜん息に効く薬として開発。日本初の薬学博士となる。今の徳島大学薬学部を作る働きかけも。今の日本女子大学で女性の化学者を育て、農学博士・丹下ウメをはじめ、多くの女性を育てる。

 

センジンファイル102 長崎 楠本イネ(1827~1903)

 女性医師の道を切り開く。父シーボルトの娘。石井宋謙から産医学を、大村益次郎からオランダ語を学び、医師ポンぺから解剖学を、医師ボード院から眼科を学ぶ。1865年に宇和島で医院を開業。10年後の1875年に国家資格の医術開業試験が始まるが既に開業していたので試験は受けなかった。

 

センジンファイル103 熊本 北里柴三郎(1853~1931) 

 世界初!感染症の治療法を開発した“近代医学の父” 18歳で熊本医学校(今の熊本大学医学部)に入学後、東京医学校(東京大学医学部)に進学し、同学部卒業後、衛生局に就職し、33歳の時に細菌学を研究するためベルリン大学に留学。結核菌やコレラ菌を発見した細菌学者コッホに弟子入りし、1889年、世界で初めて破傷風菌だけを取り出すことに成功。世界初の血清療法を開発し、ベーリングとともにジフテリアの抗血清も開発。帰国後、私立伝染病研究所(後の国立伝染病研究所)を作り、香港でペスト菌を発見。1914年、北里研究所創立。港区白金に「北里研究所 北里柴三郎記念室」がある。

 

センジンファイル104 宮崎 高木兼寛(1849~1920)

 脚気の原因究明に挑む。当時は脚気病菌がいると信じる学者が多い中、栄養に原因があることを実験結果により証明したが、認められなかった。海軍カレーを考案し、後の東京慈恵会医科大学となる成医会講習所を設立。日本で初めての看護学校「看護婦教育所」も設立。

 後に脚気の原因は鈴木梅太郎等の研究によりビタミンB1不足であることが判明。

 

 徳島の長井長義、長崎の楠本イネ(国家試験を初めて女性で合格したのが荻野吟子)、宮崎の高木兼寛のことは知らなかったので、こちらも勉強になりました。

黒田如水 吉川英治

2013年10月1日発行

 

もともと昭和18年12月朝日新聞社より刊行。

裏表紙には「『天下を獲れる男』と豊臣秀吉に評された天才軍師・黒田官兵衛(如水)。播州御着城城主・小寺政職と家老・黒田官兵衛は、織田信長と盟を結ぶため、岐阜へ赴き、秀吉の知遇を得る。織田家重臣荒木村重が、反織田の旗頭・毛利氏に呼応して叛旗を翻した。伊丹城に籠城する村重を翻意させるため、官兵衛は、単身、敵地に向かうが・・・。天下無双の軍師・黒田官兵衛の半生を描く歴史小説。」と。久しぶりに吉川歴史小説を読んだ。勿論、過去の史書・資料をもとにストーリーを組み立てているのだと思うが、本当にタイムスリップして黒田如水を始めとする歴史上の人物が眼前に現れたような錯覚を覚えるほど、吉川氏の筆力は凄いの一言に尽きる。

最大の山場は、信長のために小寺政職荒木村重に共に忠誠を誓う密書だと思って荒木村重の下に単身乗り込んだ官兵衛だったが、実は小寺政職が自分では官兵衛を討ち取ることができないので荒木村重に官兵衛の始末を託す密書だった。そうとは知らず、荒木村重の獄に繋がれ、1年間牢獄生活を余儀なくされる。ところが官兵衛が反織田に寝返ったと勘違いした信長が官兵衛の父や人質として預かっていた官兵衛の嫡子松千代の首を持ってこいと、松千代を預かっていた竹中半兵衛に命じる。半兵衛は秀吉とともに官兵衛が寝返るはずはないことを確信していたため、ちょうど同じ年頃に亡くなった別の子の首を松千代と偽って信長に差し出す。

さて、長年にわたって苦心した官兵衛の家臣らによる救出作戦がようやく実り、今にも死んでしまいそうなやせ細らえた官兵衛を何とか救出する。官兵衛の姿を見た秀吉は信義を貫き通した官兵衛の変わり果てた姿に痛く感動し、逆に人を見誤った信長は慚愧の念に絶えずそれでも天下のために過去を振り返らず官兵衛の前に姿を現し率直に謝る。その下に半兵衛が主君の命に背いて松千代を生きながらえさせていたことを死んでお詫びするといえば、官兵衛が松千代に腹を切るよう命じ、信長がそれには及ばぬと静止して、曹操の故事を通して自らの過ちは過ちとして自らを深く責めていることを告げる。

登場人物のいずれものキャラが立ちまくっていて本当に恰好いい。官兵衛が救出された直後の心境描写は俊逸だ。「自己の意志だけを以てどうにもならない長い獄中生活は、彼にある生き方を習性づけていたかも知れない。怒濤の中にあっては怒濤にまかせて天命に従っていることである。しかも断じて虚無という魔ものに引き込まれることなく、どんな絶望を見せつけられようと心は生命の火を見失わず、希望をかけていることだった。いやそうしてその生命と希望をも越えて、いよいよという最期にいたるもこれに乱されない澄明なものにまで、天地と心身をひとつのものに観じる修行でもあった」。

獄中を経験した者でしか語れない、研ぎ澄まされた究極的な何かを表現するということは極めて困難なことだと思うが、それを連想しながら生きているからこそ表現できるのだと思うと、吉川英治の生き方とは凄まじいと思う。

元彼の遺言状 新川帆立

2021 年 10 月 20 日第 1 刷発行


第 19 回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。

 久しぶりにこのミスシリーズを読んだ。大賞受賞作だけあってエンタメとしてまずまずの面白さがある。作家になるために弁護士となったという異色の経歴の持ち主だが、作品の内容はさすがに弁護士らしく法律の議論をある程度踏まえたものとなっているようだ。もっともかなり誇張もあるようで小説を参考にせずに実際に困ったことがあったら本書を参考にせず弁護士に相談するようにとアドバイス付きなので、内容を鵜呑みにしてはいけない。
 さて、ストーリーとしては、前半で、大手製薬会社の御曹司が、私を殺害した犯人に財産を譲るといった遺言書を書き、御曹司が亡くなったことで、次から次へと殺人犯と名乗る者が現れ、主人公の剣持麗子は御曹司にインフルエンザをうつした男から自分が犯人だと言われ、その依頼で犯人選考会に臨む。このあたりは現実離れしていて、この先どうなることやらと正直思った。
 しかし、この遺言者は、犯人が特定に至らない時は財産は国庫に帰属するともなっていたため、このような遺言書を書いた御曹司の本当の狙いが何なのかは後半になって初めて明らかにされる。同時に、御曹司は、実はインフルエンザではなく、大手製薬会社の開発中の薬剤の副作用で死んだ可能性が出て来て、それが自分で射ったものか、はたまた他人が射ったものか、どちらとも言えない状況になってくる。そんな中で、もし他人が射ったとしたら誰が射ったのか。その流れの中で、遺言を執行するための弁護士が殺害されたり、遺言が保管されていた金庫が盗難にあったりと、次々と様々な事件が起きる。そして一体誰が何のためにこんな事件を次々と引き起こすのかというテーマにいつの間にか切り替わって物語が進む。
 ところが、最後の最後で、切り替わったと思ったテーマと得体のしれない内容の遺言書を御曹司がなぜ書いたのかという2つが見事にミックスされて、ストンと落ちる。

 そんなミステリーの王道に戻る手法は見事で、読んでいてなかなか爽快感があった。映画化される予感大である。

 

戦争と平和 トルストイ  中村白葉・伊藤佐喜雄訳

1967 年 1 月初版発行 1985 年 1 月第 23 刷発行
 

 青年貴族アンドレイが、ロストフ伯爵の娘ナターシャを結婚相手に決めるものの、父の反対にあって 1 年待つことに。その間、アンドレイは自分の代わりに何かあったら親友ピエールに相談するようにと。ところが、ナターシャは、女たらしの若者アナトリイに誘惑されて駆け落ち寸前に。ところがアナトリイが妻帯者と知ってナターシャはアンドレイとの結婚を諦める。その一方で、ナポレオン率いるフランス軍は、東ドイツからポーランドに進行し、いよいよロシアの国境を越えて、ロシアと戦争状態に突入する。アンドレイはナポレオンとの戦争が開始されたとの報道を耳にするや、かつての上司クトーゾフ将軍に本国への戦線に回してほしいと願い出る。
 1812 年 9 月 7 日、ロシア軍とフランス軍との間でボロジーノ大会戦が行われる。その前日、アンドレイと親友ピエールとの会話が印象的だ。アンドレイが「あすの戦争は、われわれの力によってきまるので、決して総司令部の連中の力によってではないと、ぼくはかたく信じている。そしてまた、戦争の勝利というものは、陣地や武器や兵力だけで得られるわけでもないさ」というと、ピエールは「じゃ、何によって得られるんですか?」と尋ねる。するとアンドレイは「それはもちろん、ぼくの部下の将校たちや兵士たちのひとりびとりがいだいている、決意によってだよ」「勝とうと決意した者が、たたかいには勝つ」と。結果はナポレオン率いるフランス軍が勝利をおさめ、ナポレオンはモスクワを一瞥できる丘に登る。この戦争でアンドレイは負傷し、亡くなる直前にナターシャが見舞いに訪れ、そして死んでいく。死ぬ直前、アンドレイは、肉体的には良くなってきていたが、精神的には生きているのか死んでいるのか分からない状態となり、(死はめざめなのだ)との精神の発作と見たナターシャに見守られる中で、「はじめて愛と人生のよろこびに目ざめた人間として、死んでいった」。ところで、この表現は、極めて意味深長のように思う。
 クレムリン宮殿に収まったナポレオンは、①略奪をやめさせ、②将兵の冬服を整え、③モスクワ市内の食糧管理をすべきだったのにしなかった。しかもクラースノエの戦闘でロシア軍が完全勝利をおさめ、これにより、ナポレオンは、モスクワについで、惨めな終止符を打たれ、自身の運命も転落していった。
 フランスの捕虜となったピエールだったが、このころには、思想や教理にたいする信仰に生きるのではなく、「神」にたいする信仰に生きるようになった。これも極めて意味深長だ。このピエールは、最終章で、戦争で 200 万ルーブルを失ったが、本人は反対に金持ちになったと真面目な顔で話をし、それが何かと言えば、「自分がかち得たものは何かというと、・・・それは『自由』ってやつなんですよ」と答える。これも意味深長だ。
 最後は、ナターシャは、アンドレイの親友ピエールと結婚し幸福な人生を送り、ナターシャの兄ニコライは、アンドレイの妹マーリャと結婚し堅実な家庭を築く。ここに平和が訪れる、という意味であろうか?そのことの表れであろうか、マーリャの「たましいは、たえず無限なもの、永遠なもの、完全なものをめざして、近づいて行こうとするので、そのけだかい苦しみが顔や表情にあらわれ、一種の美しさを生み出していた。キリストがすべての人類を愛したように、彼女は、自分の夫を、自分の子どもたちを、ニコールシカを、そして隣人たちを愛したいと、心にかたく誓うのだった」との一節は、おそらくトルストイの一番言いたいことだったんではないだろうか?最後に、ピエールはナターシャに「善をこころざす者は、手をつないで実行の組織をつくれーと」といい、更に「悪をなす人間どもがむすびついて、強大な力をもつなら、善をこころざす人間も、手をつないで、それに対抗しなければならない。これが、ぼくの報恩のすべてだ。実に簡単じゃないか」という。