紫匂う《上》 葉室麟

2022年5月20日発行

 

主人公の澪は、黒島藩六万石の勘定方七十五石の三浦佳右衛門の三女として、十八歳の春、郡方五十石の萩蔵太に嫁いで十二年になる。嫁して三年後に長女由喜を、さらに二年ののちに嫡男小一郎を生した。澪は十七歳の折りにだだ一度だけ契りを交わした男がいた。父と同じ勘定方に出仕していた葛西笙平(しょうへい)で隣家の幼馴染だった。笙平の父仙五郎が急死すると、仙五郎の妻香は三回忌を待たず桑野清兵衛に再嫁した。笙平の妹ふたりは香の連れ子として桑野の家に迎え入れられたが、笙平だけは残って勘定方に勤めていた。澪は笙平をいとおしむ気持ちが募り、笙平も澪から話しかけられるに連れて元気を取り戻した。二人は夫婦になるつもりだった。晩秋の静かな夜、2人は結ばれた。ところが笙平は突然江戸詰めを命じられ、何も言わないまま江戸に赴いてしまった。澪は父から萩蔵太と見合いするよう言い渡された。母に相談すると、笙平は江戸藩邸側用人岡田五郎助の娘御志津と縁組話が進んでいるとの話を聞かされた。夫婦になるとの笙平の言葉は嘘だった。萩は心極流剣術の道場主から10年に一人の逸物と言われる腕前を持つ寡黙で温厚な人物だった。澪の婚儀が決まった後、笙平は返事をしていなかった縁談話に返事をしたと聞いた澪は笙平の気持ちを直に確かめなかったことを悔いたが、そのまま婚礼の日を迎えた。二人が結ばれたのは澪が眠れぬ夜が続いて心身共に疲れた澪が癒しを求めるように身を委ねた7日目のことだった。蔵太は凡庸にしか見えなかった。澪は、蔵太との間に由喜と小一郎というふたりの子に恵まれ、蔵太の両親も丁寧に接してくれ、12年を日々穏やかに過ごした。澪の実母仁江は未生流の華道の手並みを買われて藩主の生母芳光院が歌会を催す山荘・雫亭の花を活け、仁江が腰痛で行けないときは澪が代役を務め、雫亭の管理を任された。ある日、蔵太を門前で送り出した直後、笙平に似た武士を見かけた。その日の夜、蔵太から江戸詰めの笙平がお咎めを受け、国許に帰ってくると聞き、澪は動揺した。澪は実家を訪れ、兄誠一郎から不祥事の内容を聞いた。江戸藩邸で賄賂を受け取り、出入りの呉服商の女房を手籠めにしたということだったが、濡れ衣ではないかとも兄から聞いた。黒瀬家老に出入りの商人との間での黒い噂があり、家老に疎まれて無実の咎めを受けたかもしれなかった。笙平が国許へ送り返される途中、護送の者の隙をついて逃走したとのことだった。雫亭の掃除に出掛けると笙平は途中の道で澪を待っていた。雫亭で笙平から、無実であり、岡田の娘とは離縁し、今は桑野を頼るつもりであることを聞いた。そして雫亭に匿い、岡田の娘は黒瀬家老と密通を働いていたことを聞き、桑野も当てにならないことを聞くと、もはや芳光院に助けを願い出るしかないと覚悟を決めた。藩内で黒瀬家老に物が言えるのは芳光院しかいなかった。芳光院は黒瀬家老の黒い噂を耳にしており、笙平に会うことを約束してくれた。雫亭に戻って笙平を連れて行こうとすると、笙平は置手紙を残して雫亭から姿を消していた。そこに桑野が現れ、笙平の命が狙われていることを知り、澪は笙平の跡を追って鋤沢の湯治宿に向かい、蔵太には今晩は帰れないことを告げる文を送った。湯治宿で笙平と再会し、よりを戻したいと求められたが、気持ちの整理がつかずに澪は応じることができず、そのまま朝を迎えた。そして澪は蔵太が種をまいて育てていた紫草をまだ目にしていないことに気付き、蔵太が咲かせようとしている紫草の白い小さな花を見たいと思うと、ようやく自らの胸のうちがわかり、心の中で笙平に謝った。澪はつけられていた。早朝、宿改めが行われ、絶対絶命のピンチに蔵太が現れた。そして桑名が澪と笙平の噂を口にしても蔵太は全て澪の父から聞いていたと平然と答え、部屋に2人して戻った。部屋に入ると、蔵太は笙平に挨拶した。芳光院は笙平に会うには雫亭しかないと蔵太に書状で伝え、蔵太はそれを報せると共に道案内をかって出た。蔵太は笙平を芳光様に会わせることが忠義に叶うと言い、手助けを始めた。

アイリスオーヤマの経営理念 私の履歴書 大山健太郎

2016年12月7日1版1刷

 

帯封「挑戦に終わりはない。波瀾万丈の経営者人生で磨き抜かれた『実践理論』、その神髄を熱く語る!」

 

目次

第1部 私の履歴書

第2部 私の経営理念

第3部 社員へのメッセージ

 

・祖父趙性璣は韓国出身で漢方医として来日。父はブロー成形の機械を中古で調達し下請けで水道栓の部品等を作り始め、大山ブロー工業所を創設。19歳で乳が亡くなり大学進学をあきらめて家業を継ぐ。父のプラスチック公寿尾を引き継いだが、下請け仕事で終わりたくなかった。自分の意思で値決めするには独自商品を持つ必要があり、真珠養殖のためにプラスチックでデザインも工夫したブイを開発した。育苗箱を開発し、工場用地を確保して、当初500万円だった年間売上高を8年で7億6000万円に伸ばした。オイルショックで原価割れで投げ売りが行われ、蓄えも底を尽き、工場を宮城1か所に絞り、従業員を半分に減らした。不況時でも利益を出せる会社にするには、産業界向けでなく消費者向けビジネスに的を絞り、地方企業で規模は小さくとも売り上げを伸ばし利益率の高い園芸用品を取り扱う会社に注目した。植木鉢やプランターのアイデアは妻が出したものだった。そこから飾る園芸にコンセプトを広げ、ガーデニング市場を創造した。次にペット用品を扱い、ペットブームを作った。探す収納は爆発的にヒットした。問屋を通さず問屋兼メーカーの仕組み作りを始め、社名もアイリスオーヤマと変更した。アメリカに進出しクリア収納を手掛けるとヒット。オランダを始め欧州でも透明の収納ケースを普及させた。中国でも大連に7つ、蘇州に1つ工場を設け、現地社員を登用した。ペット食品のブランド化を図ろうとしたのは失敗し2年で撤退した。M&Aで黒字に転じたグループ企業も増やした。高齢化で市場の伸びが悩み始めると、売り場作りと接客を請け負うセールス・エイド・スタッフを作り、店舗に派遣した。公取から勘違いされたこともあったが、今や850人が従事してくれている。SASの報告から商品開発に繋がっている。バイヤーの壁を崩すためネット通販を開始。扱う商品は被らないようにしている。創業の理念を引き継ぐために株式は上場しない。東日本大震災の時、企業の哲学が社員の体に入っていたからこそ、たとえば気仙沼店では暖房用の灯油を1人10リットルまで無料で配ることができた。首になるかもしれないが、それでもいいという覚悟で店長は取材に語ってくれた。

・管理者十訓の第一条に「管理者とは管理人ではない。常に本質的、多面的、長期的に考え計画を立案し、三現主義で部下を教育し、そして育成する指導者である」と定めている。リーダーシップには管理者のリーダーシップと経営者のリーダーシップがある。経営者のリーダーシップは①構想力②具体的に行動に移す③チーム全員を自分の信念に基づいた目的・目標達成のために共感させる力を持つことである。

審判 フランツ・カフカ 本野亨一/訳

昭和28年3月30日初版発行 令和5年8月25日56版発行

 

裏表紙「ある朝、アパートで目覚めた銀行員ヨーゼフ・Kは、突然、逮捕される。Kはなぜ逮捕されたのか、まったく判らない。逮捕した裁判所もいっさい理由を明らかにしない。弁護士を頼んでも要領をえず、実際に法廷に出ても、何も明らかにならない。正体不明の裁判所と罪を知らないKのあいだで、はてしない問答がつづくのだが…。「城」「アメリカ」と長編3部作をなす、未完の傑作。」

 

「第1章 逮捕 フラウ・グルバハとの対話 ビュルストナーという女」

銀行員のKがある朝とつぜん逮捕される。二人の男がやってきて、Kは悪いことをした記憶もなく、逮捕の理由も全くわからない。Kの住むアパートの家主グルバハ夫人はよそよそしく、同じアパートに住むビュルストナー嬢の登場もどういう意味があるのか。Kは別に連行されるわけでもなく、逮捕を伝えてきた男たちには、銀行に行ってください、と言われる。Kは普通に銀行に行って仕事をする。

「第2章 最初の審理」

Kは呼出しを受けて審理委員会に日曜日に出向く。時間を言われなかったので午前9時に到着するよう向かったが、似たような建物が沢山あり1時間少々遅参した。予審判事が出てきたが、君は今日逮捕された者が訊問の際に享けるべき利益を放棄したのだといわれ、Kは扉を開いて階段を駆け下りた。背後ではざわめきが起こっていた。ここでもKが逮捕された理由は分からない。

「第3章 誰もいない法廷で 学生 裁判所の事務室」

次の日曜日にKは再び審理委員会に出掛けた。がその日は休みだった。部屋を貸している女と話をしていると、学生が現れ、2人の後をついて行った。屋根裏部屋に連れて行かれると、裁判所事務室があった。女と相談係の男が現れるが、相変わらず訳の分からない状況が続く。

「第4章 ビュルストナーの友達」

ビュルストナーの部屋にモンタークという別の女性が引っ越してきた。Kはビュルストナーに面会を求めたが、一度も返事はなく、ビュルストナーが引っ越ししたのがその返事だった。

「第5章 鞭を鳴らす男」

Kの見張り役が、Kが裁判長に密告してもいないのに密告したとして鞭打ちの刑に処せされた。

「第6章 叔父 レェニ」

訴訟の噂を聞いたKの叔父がやってきてKを友人の弁護士へ連れて行っていった。弁護士は病身で、叔父と力になってくれそうな書記長が話している間、Kは弁護士の看護師レェニにキスをし、肝心な打合せの場にKがいないため、打合せができずに終わってしまう。

「第7章 弁護士 工場主 画家」

裁判は非公開で行われる。起訴状の内容は被告及び弁護人の窺知を許さない。訊問に伴って個々の公訴事実及びその理由が次第に明瞭なる。ある工場主がKを訪ねて銀行にやってきた。工場主は画家のティトレリと知り合いで、この画家が裁判所で働いているらしく、Kのことを知った。工場主はKにティトレリを教え、Kはティトレリに会いに行った。ティトレリは、無罪には本当の無罪、形式的無罪、訴訟の進行妨害の3種類がある、画家のアトリエも裁判官事務室の一つだった。Kは画家から絵を譲ってもらって車の中に乗せた。

「第8章 ブロックという商人 弁護士を解約する」

Kは弁護士への解約を申し出るために深夜に弁護士を訪れ商人のブロックと出会う。彼もKと同じ弁護士に依頼し5年以上経過していた。看護婦のレェニが再登場する。Kは弁護士に今日限りで手を引いてもらいたいと言うと、再びブロックとレェニが登場した(ただしこの章だけは未完)。

「第9章 伽藍」。

Kは銀行の大切な取引先でこの町に初めて来たイタリア人のため町の古蹟を案内した。大伽藍で待ち合わせをしたが、約束の時間にイタリア人は現れなかった。するとKは初対面の僧侶に突然名前を呼ばれ、起訴されていることも知っており、有罪だと決めつけられた。そして僧侶はKが裁判というものに錯覚に陥っていると述べ、この錯覚について記された法律の入門書の話を始めた。掟の前に一人の門番がいて、田舎から一人の男が中へ入らせてほしいと頼むと今すぐ入らせるわけにはいかないと拒絶し、男は何年も待ち続けた。が男の死期が近づいたところで門番は男のためだけの入口で、他の人が入らせてもらえないのも道理であり、門を締めて引き上げた。

「第10章 結末」

Kの31歳の誕生日の前夜、二人の男に連行され、Kの喉首にメスが、もう一人がKの心臓に差し込み、「犬のようにくたばる!」と言い、屈辱だけが生き残っていくような気がした。

この後、「未完の断章」として「エルザのもとへ」「」「」「」「」

松永安左エ門(電力中央研究所理事長)私の履歴書 経済人7

昭和55年9月2日1版1刷 昭和59年2月23日1版9刷

 

①私は一種の失敗者だ

慶應義塾福沢諭吉先生に接見

③逆境で自分を見直す

④福博電軌の専務で不眠不休

⑤北九州の電気、交通両業を一つに

⑥議員時代・野党で反骨精神発揮

⑦東邦電力設立で苦労

⑧五大電力争覇時代の流れのなかに

⑨電力外債で政府・金融界が募債援助

⑩九州鉄道のこと

⑪官僚統制に全面的敗北を喫す

⑫五十代から登山を始める

⑬創意工夫・努力と熱で

 

明治8年12月1日長崎県隠岐生まれ。祖父と福沢諭吉の影響を強く受けた。慶応に進み、朝5時の散歩のお供をした。株は単に金銭を取り合っているにすぎず社会の富は少しも増えない、社会の進歩、発展と無関係だと悟り株の投機に手を出すことは一切やめた。日銀を1年目で辞め、丸三商会支店長になったが1年と続かず、福松商会で石炭、電車の浮き沈みの激しい事業を起こし、九州電気を設立した。次に九電鉄を発足させ、衆議院議員となった。東邦電力社長として中京地方の電気事業の建て直しを行った。民有民営を目指したが、戦争拡大に連れ統制が強くなり民有国営の日本発送電株式会社の設立となり私にとって全面的敗北、失敗の最たるものになった。70歳で産業計画会議を設立し、国家の新しい国造りの設計図、将来の経済計画を立てようとスタートした。エネルギー、道路、国鉄、たばこ、北海道開発、海運業、ダム、東京湾埋め立て等である。根底は自己中心の考え、自愛でなく、互助、平等の他愛の精神を持つことである。これは世界平和につながり、同時に我々が発展していく道である。(昭和46年6月16日死去)

 

散り椿《下》 葉室麟

2020年5月20日発行

 

采女の回想(新兵衛が国を出る破目に陥った時、采女は新兵衛が篠を坂上家に戻すのを期待した。が篠は国許に留まらなかった。篠は采女のもとに行くことを望まなかったからだと思い寂しさを感じた)。道場に現れた新兵衛に十五郎が稽古と称して雷斬りを実演させ、この返し技を披歴した。ほんの少し前まで十五朗はこの技で覆面を斬られており、この返し技を考えたのが采女か三右衛門かどちらかだった。執政会議で采女は平蔵と田中屋との関わりを疑われた一件の証拠が奪われたと思うとの意見を述べる。家老は起請文の行方を知っているのは藩主だけで自分も知らないため、その行方を探るために田中屋襲撃の一件を執政会議で持ち出していた。蜻蛉組の名前で采女が呼び出されると、三右衛門が現れて刃を向けた。するとそこに新兵衛が現れたが、3人はもはや昔の3人ではなかった。が決着をつける時ではなかった。采女の再びの回想(16年前平蔵が亡くなった時を思い出す。人身御供にされそうだった平蔵が江戸に訴え出ようとした際に偶然出会った采女が刺客だと勘違いして斬り付けたために采女は平蔵の刀をかわし無意識に平蔵の小手に斬り付けた。その後の記憶が途切れている。再び気付いた時、倒れていた平蔵の傍らに三右衛門が立っていた。三右衛門から陰謀の正体を知った采女は屋敷に戻り、死体の検分に立ち会ったことを想い出す)。藤吾が巧妙な十蔵の言動に騙されて拉致され、起請文を持って田中屋に来い、人質と引換えにするとの脅しの書状が新兵衛の下に届いた。新兵衛が田中屋に向かうと、十五郎が現れ起請文は石田派に渡すのでなく自分に渡せと迫った。十五郎の返し技を受けて新兵衛は返し技を工夫した者を思い出し、十五郎を斬らずその場を立ち去った。田中屋の土蔵に幽閉された藤吾を助けに新兵衛がやってくると、その隣には奥平刑部がいた。刑部は石田に起請文を取り返させようとしたが、新兵衛がこれに邪魔されたので藤吾を拉致したことを明かした。しかし藤吾は蜻蛉組に救出されていた。時間稼ぎに成功した新兵衛は起請文をその前に采女に渡すよう里見に頼み、里見は采女に渡していた。起請文を手に入れた采女と御世子派が石田派より有利に立った。石田派の残された一手は御世子の暗殺だった。これが実現すれば刑部の孫が藩主の座に就ける。ともあれ御世子の国入りで全て決着がつく。藩主親家と世子政家の一行が城下に入り、御世子の領内巡視が行われた。警護に新兵衛がついたが、多勢に無勢で新兵衛は足止めを食らった。御世子が狙われていると感じた新兵衛は藤吾に御世子に緊急事態を伝えさせたが、間に合わず、銃弾が放たれた。銃弾は御世子の影武者となっていた三右衛門に命中した。三右衛門は死ぬ間際、藤吾に平蔵殺しの真犯人は自分だと明かした。乱心した平蔵が采女を斬りつけようとした時に采女が平蔵の小手を斬ると采女が呆然として動けなくなり、その瞬間、三右衛門が飛び出して平蔵の首筋を斬り上げた。だが、采女は自分が斬ったのだと思い込み、三右衛門は思い違いを正そうとしたが果たせなかった、采女鷹ヶ峰様と石田を殺したら自分も死ぬつもりだと藤吾に教え、実は自分が蜻蛉組の組頭であることを明かした。娘の美鈴との縁組を破談にしたのも、いずれ蜻蛉組や自分が石田に狙われることを思ってのことであったとも。そして美鈴の事を頼むといい、息を引き取った。これを藤吾から聞いた新兵衛は三右衛門が御世子の身代わりになるよう仕向けたのは采女だと言った。その間に御世子が田中屋を忍び姿で訪れた。起請文を持ち出し、水路を作るために今後は金を自分に渡せと命じた。采女は御世子の政家に知恵を授け、刑部の息子で旗本神保家を継いだ弾正家久とも話をつけて田中屋を抱き込むことに成功した。それに油断したのか、采女が傍にいながら政家が田中屋で茶を飲むと毒が含まれていた。石田は政家を城に連れ戻し、政家に付き従っていた采女を謹慎させ、田中屋はじめ使用人全てを捕縛し、三右衛門を病死として扱った。石田は、源之進が采女を庇って自害したことを知っていたが、采女はそれを知っても素知らぬ顔をし、秘密を知っていた三右衛門を御世子の身代わりで死なせたと考え、采女の恐ろしさを誰よりも理解していた。この先は采女と新兵衛との篠をめぐる二人の心のすれ違いざまが詳細に描かれれている。本作の圧巻だと思う。篠は18年前、想いを寄せる采女に別れを告げて新兵衛と共に藩を去ったが、病死する直前、采女を助けろという遺言を新兵衛に残した。篠は、自分を追って死のうとしている新兵衛は采女と同様、世に出る人物である考え、本心を隠して新兵衛を生かすために切ない嘘の遺言を残していた。采女は新兵衛に、「くもり日の影としなれる我なれば 目にこそ見えね身をばはなれず」との和歌が書かれていた篠の手紙を見せた。当初采女は心は采女から離れないと思い込んでいたが、そうではなかった。采女は新兵衛に、篠は自分の後を追って新兵衛が死ぬのではないかと案じ、新兵衛を生かすために采女を助けてほしいと、心にもないことを言わねばならなかった、その辛さが分からんのかと涙ながらに訴えた。采女は家老に屈服する覚悟をし、総登城の際、家老に言われるままに目の前で土下座するために家老に近づくと、突如、家老を斬り付けた。城内での刃傷は切腹ものだと言い、采女が取り囲んだ藩士たちから斬りつけられ血だらけになった姿で、「上意でござる」と述べて絶命した。御世子が現れ、家老に対し、采女は乱心でなく上意であると告げる。采女は一命を取り留めたが、お役御免となり隠居した。刑部の前に御世子、新兵衛、藤吾が現れ、たくらみ事は一切しないと刑部は誓いを立てさせられた。刑部はこれまで通り家久への手当が続くと聞いてこれに従った。藤吾は美鈴と共に榊原采女家の夫婦養子となることを命じられ、坂上家は藤吾の子に継がせることになった。藤吾が父のように慕った新兵衛は、里見が篠にたびたび見えたため、篠に殉ずる想いを守ろうとし、里見に、いつかまた椿の花を見たいと思う日が来るかも知れないと言い遺して、一人旅立った。

 

うーん。凄い小説ですね。ジェットコースターのようなストーリーの展開はジェフリー・ディーヴァー級だけれども、人間の心象描写は葉室麟さん特有の超一級のものです。もしかすると私の中では本作が葉室麟ベストワンかもしれません。

 

鹿島守之助(鹿島建設会長・参議院議員)私の履歴書 経済人7

昭和55年9月2日1版1刷 昭和59年2月23日1版9刷

 

①詩をつくる父撫松山人・永富敏夫

②文学を愛し、哲学に感動した学生時代

③外交官生活とハウプトマンの影響

④クー伝ほーふの政治理念とストレーゼマンの洞察力

⑤「世界大戦原因の研究」で法学博士となり、鹿島卯女と結婚

⑥選挙に出馬して落選、鹿島組の事業に初めて手をつける

⑦私の経営方針-積極的に進歩改良を

終戦、日本でもジョイント・ベンチュア方式が普及

参議院議員に当選、妻と欧米各国を視察

⑩“高遠な理想を清潔な手段で実現”-これが私の願い

 

・明治29年2月2日兵庫県生まれ。三高、東大と進み、高校時代にはベルグソンの「創造的進化論」の影響を受けた。大学ではラッセルの本をたいてい読んだ。強く印象に残っているのは人間として本能・知性・霊性の3つの結合が望ましい生活だと言っていることである。大学卒業直後、内務省に入り、外交官としてローマに駐在した。中高文にパス、外交官試験も合格したので外務省に入ると通商局2課に配属された。ベルリンに赴任していた時、クーデンホーフカレルギー伯のパン・ヨーロッパ論に触れ、彼からパン・アジア結成の必要を説かれた。帰国後、日英外交文書、日米外交文書に取り組み、外務省顧問として外交文書の整理その他に協力した。鹿島精一長女卯女と結婚した。選挙に出たが落選した。加島組の商号は明治13年1880年)から用いた。請負業を始めたのは1840年。鉄道建設に進出し一大飛躍の機会を得た。私は工事受注方針を大きく転換し、鉄道工事偏重から時代の産業である建築及び電力工事へ積極的に進出した。鹿島をやめて大政翼賛会調査会を運営する調査局の局長を引き受けた。3つの部に10の委員会があり、各委員は貴衆両院議員か学識経験者250名がいて日本が戦争に勝つための調査研究をした。昭和18年9月に辞任した。戦後パージされたが、昭和28年の参院選で当選した。32年に北海道開発庁長官として入閣した。昭和38年には鹿島はモリソン・クヌードセン社を凌いで受注量世界第一位となった。(昭和50年12月3日死去)

 

散り椿《上》 葉室麟

2020年5月20日発行

 

病に伏した妻が夫に、故郷の散り椿がみたいと言いながら、自分が死んだら夫一人で故郷に戻ってやってほしいことがあるという。夫に打ち明けず永年胸に秘めた想いを話した。その内容とは?という導入で始まる。

半年後、浪人の瓜生新兵衛が故郷の扇野藩に戻った。宇野十蔵と坂下藤吾が山廻りしていたところで新兵衛と遭遇した。藤吾の父源之進は1年前突如自害してこの世を去った。勘定方だった源之進は、家老石田玄蕃から使途不明金を糾問され、無実だと反論したが、突然、別室で腹を切った。藤吾は新兵衛のことを知らず、十蔵は新兵衛を知っていた。十蔵によれば、新兵衛は一刀流平山道場で代稽古をしていたが、藩から放り出されたとのことだった。藤吾は帰宅後、母の里美に新兵衛と遭遇したことを告げると、里見の顔色が変わった。新兵衛は里美の姉篠の夫だった。里美は、新兵衛は上役が商人から賄賂を受け取っていた不正を許せず重役に訴え出たところ追放になったが追放の3年後に不正が明るみになり、間もなく上役が斬り殺され、新兵衛に呼び戻しがかかったが新兵衛は戻らなかったと教えてくれた。翌日、藤吾は篠原三右衛門の屋敷を訪ねて新兵衛の事を聞いた。新兵衛が訴えた上役は榊原平蔵で、今の側用人榊原采女の父親だということ、三右衛門と新兵衛、源之進、采女は平山道場に通い四天王と呼ばれて互いに武芸を磨いていたこと、采女は篠と、源之進は里美と夫婦になると思われていたが、篠が新兵衛を婿に選んだので痛飲したこと、平蔵が暗殺された頃から源之進は采女を怯えるようになったことなどを教えてくれた。新兵衛は篠が亡くなって故郷に戻った。里美が新兵衛を家に招き入れたことは藤吾にとり面白くなかった。新兵衛が平山道場に顔を出すと、代稽古の十五朗は父から平蔵の死体を検めた際に切り口から平山道場の者が犯人だと教えられたことを聞いた。平蔵が賄賂を受け取っていたのは紙屋の田中屋惣兵衛だった。平蔵を斬ったのは新兵衛だと田中屋は言っていた。平蔵は家老の石田の懐刀で石田のために金を作っていたという噂があった。15年前に平蔵が殺されたのはその真相を闇に葬るためだと睨んだ新兵衛は田中屋に姿を現し、田中屋の尻尾を掴もうとしていた。再び山廻りに出た藤吾は、来春、若殿が国入りし家督を継げば親政を始めるつもりであり、家老は飾り物にし、采女らを側近に置いて藩政を改める考えであることを知った。その帰り道、藤吾は何者かに命を狙われたが、密かに跡をつけてきた新兵衛に救われた。新兵衛は藤吾を連れて采女の下を訪れると、藤吾は采女から平蔵殺しの犯人がやはり源之進であることを暗に諭された。話の途中で采女の母親が現れ追い返され、帰り道、新兵衛から采女と篠の縁談を壊したのが采女の母親で、そのため篠が新兵衛に嫁いだことを教えた。翌日、藤吾は殖産方を外れ郡方に異動し、実際には隠し目付を言い渡され、蜻蛉組に入れられた藤吾は、新たな水路を作りたくない筆頭家老石田玄蕃のために行動することを求められた。家老と采女との板挟みになった藤吾は、新兵衛に相談して采女とのつなぎ役になって貰いたいと頼む。奉行の山路内膳に挨拶すると、藤吾が家老から見張り役として遣わされたことを見抜き、源之進の轍を踏むな、家老に使われた者は行く先が覚束ないので心せよと忠告された。蜻蛉組組頭から呼び出されると、田中屋の賄賂は家老の石田が横領したものでなく、その背後のいる鷹ヶ峰と呼ばれる藩主親家の庶兄刑部家成で幕府での出世を目論んでいること、藩主親家は政家が新藩主となるに際し藩内をきれいにしようとして事の真相を調査し始めたことを教えられた。蜻蛉組に入った藤吾に縁談を破棄するとの非情な報せが入った。理由は源之進が平蔵殺しの犯人であることがいずれ判明するため、三右衛門は嫁にやるわけにはいかないということだった。田中屋は采女に底恐ろしさを感じて新兵衛に用心棒を依頼した。同時に庄屋殺しが起きた。藤吾の下に美鈴が訪れて父が勝手に破談にしたことを打ち明け、父の進める縁談を断るので藤吾と一緒になるまで待ちたいと言った。内膳から執政会議で罷免されたが采女が同意しないので、家老と采女の戦いは若殿が帰国する春先までもつれると明かされた藤吾は、誰が平蔵殺しを実行したのか家老が調べていることを聞き、源之進でないとすれば采女しかいないことに気付いた。田中屋は新兵衛に起請文を賊に奪われないよう守ってほしいと打ち明けた。蜻蛉組小頭が藤吾を呼び出し、起請文を一緒に奪いに行くのに同行せよと命じた。同時に田中屋を襲った賊がいたが、いずれも新兵衛が何とか田中屋の一命を取り留めて追い返したが、覆面をしていた小頭は新兵衛の太刀で十五朗だったことが判明した。奪われた起請文は偽物で本物を田中屋は新兵衛に託した。新兵衛は起請文の署名が奥平刑部とあることを知り、世子派と家老派の対立の根底に刑部を除くか守るかにあることにあることがハッキリした。