平成24年3月25日初版発行
『詩経』と『楚辞』というふたつの詩集を、中国では「風騒」と呼びます。「風」は国風、つまり『詩経』のことであり、「騒」は「離騒」、つまり『楚辞』のことです。
地域で言うと、『詩経』の詩は、北方の黄河流域の国々の詩歌であるのに対して、『楚辞』は、長江中流のいわゆる楚の国を中心とした地方の歌謡です。
『詩経』
🔹恋の歌
木瓜(ぼくか)(衛風)
我に投ぐるに木瓜を以てす
之に報いるに瓊琚(けいきょ)を以てす
匪(か)れ報いたり
永く以て好(よしみ)を為さん
・女性の求愛のうた
将仲子(しょうちゅうし)(鄭風)
将(ね)がわくは仲子
我が里(り)を踰(こ)ゆる無かれ
我が樹杞(やなぎ)を折る無かれ
豈に敢えて之を愛しまん
我が父母を畏る
仲は懐(おも)うべきも
父母の言
亦た畏るべし
・「垣根を超える」という表現には夜這いの意味があります。
🔹嘆きと悲しみのうた
蟋蟀(しつしゅつ)
蟋蟀 堂に在り
聿(ここ)に其れ莫(く)るる
今 我れ楽しまざれば
日月 其れ除(さ)らん
己(はなは)だ大いに康(たの)しむ無く
職(つと)めて其の居を思え
楽(たのしみ)を好むも荒(すさ)むこと無かれ
良士(りょうし)は瞿瞿(くく)たり
蟋蟀(きりぎりす)が堂(たかどの)で鳴いている。今年もやがて暮れゆこう。
今をこそ楽しまなければ。日月は過ぎ去るばかり。
しかし、楽しみに度を過ぎることなく、つとめて自分の勤めを思え。
楽しみもほどほどにせよ。よき士(おのこ)は常にこころをくばるもの。
『楚辞』
『楚辞』と「屈原」を直接結びつけることに大いに疑問を持っている。
招魂篇「魂よ帰り来たれ」という招魂の一句が繰り返されます。・・
魂の向かう先の苦痛、こちら側の世界の快楽という歌い方は、童謡「こたるこい」の「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と共通するものです。
へー、そうなんだ。ということばかり。勉強になります。